十一.




あの逆さ喋りは、用するにお遊びなのだと、男は言っていた。
当時の自分には音だけが世界であり、外から聞こえてくる言葉をひっくり返して暇を潰していた、と。
ほんの童遊びで、しかし他にやることは絶望しかなかった、らしい。


「などけるあものたっだ別特が、がのって葉言のけだ人二」と冗談めかして言っていたか。


美しい手が好きだったのだそうだ。
お前の手だって綺麗だなどとは、死んでも言う気はない。


抱かれた後の男は何処か夢現のようで、語る言葉はうわ言に近い。
きっと本人も、何を話したのかわかっていないに違いなかった。
わかっていないというより――覚えていないのか。


ただ、男の語る話は確かに自分には聞こえていたし。
自分はそれを覚えていて、言葉は徐々に蓄積されているし。




要約すると、大層不愉快な思いをしている。







「あ」






しゃりん、という金属音がして、そこで漸く自分の行動に気がついた。
少々遅すぎる感もあったが、何故かやってしまったという色味が強い。
ただ、動かした手の感触だけは残った。




足元には、人間だった物が転がっている。
否――今の今まで人間で、漸く人から物へと変わろうとしている物体が、転がっている。
苦しそうに、息を――血を吐いて。




男は何をされたのかわからないようだった。
自分も何をしたのかわからなかった。





ただ、店を出たところで、気安く声を掛けられ――結構な距離を、ついてこられた。
野卑な言葉で、下卑た仕草で、猥雑な内容の会話をふっかけながら。
まあ、そういう店から出てきたのだから仕方ないといえば仕方なかったが、ただ鬱陶しく。
男からすれば己が同類に分類されているだろうという事実が、ただ面倒で。



そして気付けば男は転がっている。



死にゆく様は醜くこそあれ、それ以上なんとも思わなかった。
そうなのだ人間の美醜になど、自分は全く興味が無い。そう言う人間のはずだ。
大抵の場合は。



別に見届ける必要なないだろうという事で、無視を決め込み前へと。
気になったので僅かに刀を出してみれば、いつもよりも抜きやすくなっている。
どうやら、血が混ざったことですべりやすくなっているらしい。
氷なんかは少し溶けたほうが滑りやすいのと同じ原理か、と納得。



そこでようやく、どうやら自分が男を斬ったらしいと気がついた。
宇練の剣術――待ちの剣法――即ち居合い抜き。
真剣で試してみたのは初めてだったが、随分効果があるらしい。
他人事のように思って、歩を進める。
返り血が付いていないか気になった。
少しも付いていないというわけではなさそうだったが、人斬りをした割には余り汚れない。
洗って落ちるものだろうかと考えて、また気が付いた。







人を一人斬っておいて、この危機感のなさは何だ。






不思議ではあったが、やはり胸に残る物は何も無い。
ただ、傍らの刀を強く握り締める。
貰い受け、受け継いだその刀は、随分。

己の手に、よく馴染んだ。