【真庭天狼】 山頂にいる仲間から、合図があったわけではない。 正確に言えば少しだけ前、合図の大声が聞こえたが、それは自分達に向けるものではなかった。 だから気がつかなかったと言う事なのだろう――もう少し相手の運がよければ、取り逃していたかもしれない。 否――もう少し自分達の運がよければ、か。 何故ならこれは仲間殺し。 抜け忍だろうが裏切り者だろうが――仲間殺しに、違いはない。 いや――そんな事は、どうでもいいのか。 自分の後ろを、少しだけ隠れるようにしながら歩いていた雪兎が、びくりと顔を上げて。 被り物の白い耳がゆれ、それに備え付けられた鎖がなったところで。 ようやく、仄かな血のにおいに気がつく。 それは気がついてしまえばどうして今まで気付かなかったか不思議な程のにおいであり。 自分たちがよく馴染んでいた、においでもあった。 「て、天狼さん……」 「どうやら、こちらに来ているようですね」 「そうです、よね……ど、どうします、か……?」 「どう、しよう」 しかし悩む必要は、なかったようだった。 「血は少しもつけちゃいねえ、つもりだったんだがね」 そんな風に快活に言って、姿を現した男。 一体いくつなのだろうか、想定が出来ないほどに、老いている。 「もしや――貴方が、私たちを裏切ったという、お方ですか」 「嬢達は真庭のもんだろうなあ、やっぱり――儂じゃねえよ。儂の……友達かね」 「友達?」 背後で雪兎が「そ、そういえば……裏切りの直後に、友人一人も失踪していた……気が、します」と教えてくれた。 「関連は不明だった、とか……多分ですけど」 「あってるぜ、真庭の嬢」 老年の男性は、頷いた。 「それが多分、儂かね――裏切り者の、ダチだったよ」 「だった?」 「あいつは死んだ」 笑ったまま、男性はそう言う。 生きていれば随分な高齢になるだろう――それはこの男性も同じだが――死んでいても不思議はない。 最も、敵方の発する情報を、全て正直に受け取るわけにはいかなかったが。 「この場合はどうなるのでしょうね――貴方も、殺すべきなのでしょうか……」 裏切り者とその一族郎党皆殺しに、というのが指令である。 いや……彼も裏切り者に入るのだろうか。 ならば殺すしかない。 「しのびがそう悩むんじゃねえよ――真庭の嬢」 「悩むなとは、難しい相談……まあ、結局そんな事はどうでもいいという結論にしか、ならないのですが」 「まあ、十中八九――殺すべきだろうな」 男は腕組みさえして、不敵に笑いながら、こちらを見た。何か策でもあるかのように――こちらを見た。 「真庭の為を思うんなら、儂を生かして利得はない。殺すか殺さないかを提示されれば迷わず殺す、それがしのびってもんだろうと思うが」 「……どうして……」 雪兎のか細い声は、何故かと聞いた。 何故自ら自分達の前に姿を現し――何故、自分の死を促そうとするのか。 何かの作戦なのだろうか。 「儂は、真庭忍軍が嫌ンなって抜けたわけじゃねえからな。真庭の事は大好きだったね、確かに」 だけど友の幸せの方が大事だったって、その程度さ――と照れたように笑う。 「嫌いなんかじゃなかったぜ。真庭も好きだった。ダチも好きだった。だが、真庭はダチが嫌い何だと」 どっちも好きなら、嫌われてる方の味方したくなっちまうのが男だろ、と続けられる。 「逃げ切れるんならそれで良かったんだがね。もう二度目会っちまったし……ここで逃げても往生際、悪ぃよ。折角だから今の真庭忍軍の様子、聞いときたかったのもあるがね」 男は矢継ぎ早に尋ねてくる。 真庭の里は今どうなんだ、頭領達はもう変わっちまったよな、一体どいつが新しい頭領になったんだろうな、ああ、狂犬だけは変わらねえだろ元気か―― 皆、幸せそうか? 「……真庭の里は平穏です。当時の頭領が何方だったか知りませんが、恐らく変わっているかと。狂犬様はお元気です――皆、」 しあわせそうです、と言った自分の声は震えていなかっただろうか。 男は、良かったと笑った。 「しかし随分と放っといてくれたのに、どうして今更制裁に来た?」 「忍軍を抜けても――殺し屋家業を続けられていたからですよ、貴方方が」 下手人をあげろという通知が来たらしい。 捕まえてみて、真庭の抜け忍だったと知れればこれからの忍軍の威信に関わる。 即急に手を打つ必要があったのだ。 「しゃーねえだろ、他に出来ることなかったんだからよ。もっとも自業自得だが――これで真庭の連中が助かるんなら、幾らでも殺せよ」 裏切り者が必ずしも、真庭を憎んでいたわけではない、とか。 そんな事は関係ないことなのに――声が震えた。 「忍法『惨嘆悩苦』」 おやすみなさい。 最期ぐらい、良い夢を。 |