05.

「それじゃあ俺は一体何処に寝ればいいのかな?」
「泊まる気なのか!?」


そろそろ深夜と表現してもおかしくない時間帯。こいつは一体何時帰るのだろうと心待ちにしていた軋識にとって、それは死刑宣告にも等しかった。


「ああ、安心するといい《街》。双識君の部屋に泊まるから無問題だ」
「頼むからやめろっちゃ……」
「ん?そんなに自分の部屋で寝てほしいのか。君のように暑苦しい男は俺の趣味ではないけれど、まあいいさ」
「誰がそんなことを言った……大体暑苦しくったって変態のおっさんよりマシだっちゃ」
「おっさんって……おいおい《街》、いい加減状況を認識しろよ。俺はお前の三年後の姿なんだぜ」
「俺はいくら歳とってもお前のようにはならんっちゃ!」



そんなやりとりの後、更に軋識と兎吊木の言い争いがあり(帰れ)(泊まる)結局兎吊木はソファで寝ることで合意。




ふてくされたというより、呆れて軋識が自分の部屋に戻った、その後。
双識は、押入れから出してきた布団を兎吊木に渡した。




「ああ、態々どうもありがとう」
「別に構いませんよ」
「こうやって優しくしてくれる君には、とても申し訳ないん、だが」



兎吊木はソファに沈み込むように腰掛けて、双識を見つめた。




「俺はね、元々式岸軋騎……零崎軋識を君から奪いに来たんだよ」
「………………」
「無論こんなこと《死線》は俺に頼みはしなかったんだが……どうにも機嫌が悪いからね。時期的に見ても、《街》の事と関係がないわけがない。だから……いや、この兎吊木垓輔、《害悪細菌》においちゃ奪う、なんてのは全然正しくないな。俺は壊し屋の名において、《街》の決意やら君と《街》との関係性やらを完膚なきまでに叩き壊してやろうと思ってきたのさ」



双識は、答えない。深く、意味を考えるように黙り込んだ。顔に、微笑みはもうない。




「ああそう。思って、いたんだ。過去形だね。君達を見ていて気が変わった……《害悪細菌》は、《死線》からの命が降りない限り、君達に手を出すのは止める。これは誓ってもいい」
「……どうして、ですか?」
「どうして、と来たか。どうして、なんだろうな。恐らく独断と偏見に満ちた判断をするならば……俺は悟ったんだ」
「悟った?」
「そう、悟った。君達の仲が強固であることを知り、壊すことは不可能とは言わないまでも、それに近い位置に存在することを…悟った。随分と骨が折れそうだ。式岸軋騎を壊さずに零崎軋識を壊すのは。それも当然だ、何故なら二つは元々同一なんだから。下手を打って逆に《死線》の邪魔になってはいけない。勿論《死線》の為になら骨の一本二本、たとえ全てだって俺は折るさ。ただ、それが《死線》の為にならないのなら……俺は死んでも嫌なんだよ」
「………………」
「まあ単純に君が、気に入ったのもあるんだけどね」



そこで誤魔化すように笑って見せた。



「これは独り言だから聞いてくれなくて全然構わないんだが。……《街》は、《死線》の求めている《彼》に俺たちの中で最も近かった奴なんだよ。無論俺たちはそれを態々《街》に伝えてやるほど優しくはないから、本人は知らずにいる」
「………………」



意味の分からないだろう呟きを、双識は集中して聞いている。





「共通点と言おうか類似点と言おうか。奴と《死線》の言うところの《いーちゃん》との間の共通項目。奴が彼に似ている理由。それは大きく分けて3つある。これは《凶獣》の情報やら《死線》の発言やらから俺たちが分析した。《街》のいない間にね。そしてその一つ目は。最も大きな一つ目は……奴が余りも優しいというところ、なんだよな。あ、いや……優しいというのは余り相応しくないな。奴が、ふざけてる位に甘い、というこの一点だ。これは《死線》が言っていたことだからまず間違いない」



はじめに独り言だと断っていたのにも関わらず、兎吊木は問いかける。



「君なら分かるだろう?奴の甘さがね。そう、誰も《街》にそんな事は言わなかったが《一群》の連中は皆知っていた。」

俺達は褒めあうような仲じゃなかったから。だけれど。



「奴は絶対的に優しすぎた」
「……………………」
「思えばあの凶暴で捻くれていた綾南豹だって、奴にだけは懐いていたようだった。まあ、よく噛み付いてはいたがね」


文字通りの意味で。



「まず君達と《街》の事を黙っていたことからもそれは推測できる。あの綾南豹だぜ?俺がもしも《街》の立場だったならその弱点を、その有利を、遺憾なく発揮しただろうな、あの《凶獣》は。ある程度の交渉はあったもの、俺から見れば……いや、綾南豹を知るものから見れば、酷く温い交渉だよ。俺の言えることじゃないが、あいつはそこまで性格がよくはないさ。ただ。だからこそ……綾南豹は式岸軋騎が気に入ってたんだろうと考えられる」



そこで一旦言葉を切る。先ほどから流水のように淀みなく出てくる言葉は、大半は双識には意味の分からないものだった。目の前の男も、分からせようとする気はないらしい。
もっとも双識に意味が分かるのなら、この男は決してここまで饒舌にはなりはしなかっただろう。



「他にもあるんだが……まあ全てを挙げていく必要性は感じられないな。ちなみに俺の場合は、口先で人を騙すところがそっくりらしい。つまりは《死線》は俺のそういうところが好きだということで、間違いなく名誉なことなんだが……複雑ではある。ともかく、式岸軋騎は、これもまた《彼》に似ているらしい自己評価の低さで、全然気づかなかったようだけれど……そもそもバーチャル以外で動ける人材としてだけなら、《街》を《一群》に入れる必要はないんだ。そして《死線》は……理にかなわないことはしない」


もっとも、《死線》の中の理屈も理論も、俺たちには到底理解できないんだがね。



と、そこで兎吊木は立ち上がった。




「どこに行くんですか?」
「どこかに行くんだよ。まあ折角双識君が毛布を用意してくれたことだし、ここに泊まる気なのは本当だ。しかしちょっと夜風に当たってこようと思ってね。あ、それとも鍵を掛けたいのかな?はっきり言って、俺は君達みたいなのが防犯なんて可笑しくてたまらないといった風情だと思うんだが」
「…………これ、どうぞ」



双識は兎吊木に何かを手渡した。兎吊木は、大仰に驚いてみせる。



「いいのかい?」
「いいんですよ。いつでも、来てください」




それには答えず、《害悪細菌》は玄関へ向かった。しばらくして、がちゃり、と鍵を掛ける音。




「…………ふー」






少し息を吐いてから、双識はリビングを離れた。