03.



扉を開けて、部屋に入る。愛すべき同居人は買い物中らしかった。




「やあ、《街》。おかえり」
「…………。何でお前がいる」





恒例のやり取りもこいつとは絶対にしたくなかった。
色眼鏡をかけて当然のように椅子に座っている男は、にやにやと笑う。




「えーっとね、まずは「手順を聞いてるわけじゃない」



今は零崎軋識スタイルなのだが……果たしてどっちにすべきなのか迷う。
とりあえず『愚神礼賛』を壁に立てかけ、麦藁帽子を外した。




「それぐらいの予想はつく。……大方あの猛獣に聞いたんだろ」
「猛獣なんて《凶獣》が可哀想じゃないか」
「《凶獣》と猛獣とどっちが可哀想なのはともかく置いておくとして、少なくともお前に可哀想と言われること自体が可哀想だ……」
「そんなテンション上げるなよ。何かいいことでもあったのかい?」
「それは違うキャラだ!」



そういえば自分もこういうキャラだったろうか。いや、奴は間違いなくこういう奴なんだが。




「可哀想可哀想というけどね、《凶獣》は俺が君の居場所を聞いたら、あの細い目尻に軽く涙を浮かべつつ、『てめえの為にやったわけじゃないからな!』と言いながら教えてくれたよ。うん、それで思うんだが、あれは少々ツンデレのきらいがあるんじゃないか?」
「それは本当にお前の為じゃなくて自分の身の安全の為に言ったんだよ!」




一体あの猛獣に何をしたんだ。
聞きたいような聞きたくないような。




「で、何しに来た?」
「そう結論を急ぐなよ。電話に出てすぐに「何のよう?」というカップルはもう長くないとか言うけれど、そう思われたら困るじゃないか」
「俺とお前は別にカップルじゃないし仲良くもないから構わないんだが」
「君にしては珍しく長台詞で俺に答えてくれることを喜んでおくよ。で、本題だが」
「………………」




沈黙する。ここで下手に茶々をいれると話が全く進まない。




「《死線》の機嫌が悪くてね」
「……嘘吐け」
「そう催促するなら喜んで嘘を吐こう。俺は君が大嫌いだ」
「最初の文と次の分とどっちが嘘なんだ……?」




まあ聞けよ、ととりなすように兎吊木は言った。
いや、とりなすも何も壊したのはお前だ。





「君が《一群》を抜けてから……妙に《死線》の機嫌が悪い」
「……………」




軋識は租借するように黙り込んだ。
こいつが嘘を吐いている可能性はかなり高いが、そうなると態々人の家まで上がりこんできた理由の説明がつかない。




「それは……どういう意味だ?」
「そのまんまの意味さ。具体例を上げるなら、先刻いつもの二倍ほど蹴られた」
「……あんまり嫌そうじゃないな」
「あたりまえだろう玖渚友だぞ?《死線》の為にならこの身体も何も惜しくないさ。お前にだって分かるだろう《街》。」




おっと。それともお前には分からないのか?と、茶化すようにそういう男。
特に気にする風もなく、零崎軋識は答える。




「それぐらいは、分かる。そうじゃなきゃ俺があそこにいたわけがない」
「それはそうか式岸軋騎。いや……それとも零崎軋識か」
「……。《凶獣》はそこまで教えたのか」
「まあね」



やはり物で釣った奴は物で裏切るのか。
外部には絶対に漏らすなと言っていたものの、兎吊木達にはそこまで警戒してなかったからな……
外に漏れれば、彼女が危ない。しかしこいつらなら、兎吊木の言うところの《一群》のメンバーなら。
彼女の危険になりうることは、決してしないだろう。



「いや、それは違うよ《街》」
「……?何がだ」
「物で釣ろうと金で釣ろうと人で釣ろうと……結局力のある方に屈するのさ」
「本当、お前綾南に何したんだ……」




そういえば昔あの強気で凶暴で偉そうな綾南豹が半泣きになりながら自分の所に来たことがあった。
何か言おうとしたら凄い目で睨み付けられて、盾にされた。あの時だけは確かに、歳相応の表情だたったと思う。
その時の相手も確か《害悪細菌》……兎吊木垓輔。



《凶獣》の天敵。
どんなに強い猛獣も、細菌に勝つことは出来ない。



いや……だけど。
親子ぐらい年齢差のある相手を苛めるな……
それを言うと親子ぐらい年の差のある相手に惚れるのはいいのかという話になるから、言わないけど。




「とにかくだ《街》。俺が聞きたかったのは、どうしてお前が《一群》を止めたかって事なんだが……まあ、ここに着たらそれもなんとなく分かったよ」
「……?どうしてだ」
「ほら」



そういうと兎吊木は、自分の座っている椅子から何かをつまみ上げる。




それは、真っ黒な長い……髪の毛だった。




「女、ねえ。《死線》より魅力的な女性が存在するとは俺には全然理解できないんだがね。」
「それは」




「……ただいまー」




と、そこで。
同居人が帰ってきたらしかった。全く、間が良いのか悪いのか。
そう思いつつ、軋識は声のするほうを、向いた。