02.



相変わらずの日常、暴君の下。
俺は、生まれて始めて失恋した。

いや、本当は始まってすら いなかった恋なのだけれど。




「暴君」
「なあに?ぐっちゃん」
「もうこれから、ここに来る事はありません」




それは俺にしてみれば随分と、決意と覚悟を要する台詞だった。
しかし、やはり少女は何と言うこともなく。興味すらなさそうに、相槌を打った。




「ふーん」
「軍団から、俺は抜けます」
「ふーん。そっか。バイバイ」




敬意を払って頭を深く下げ、扉から外に出てすぐ、全力疾走。
馬鹿みたいだとは確信してた。そういう自覚ぐらいは、あった。

それでも、予想したより堪えなかったのは事実。

だから。



だから速く、あいつの元に帰ることに、する。







* * *










「随分と早かったね?」
「……疲れた」

息が切れた。途中でタクシーを使ったのは良かったんだが。
降りてからまた全力疾走だった。

「おかえり」
「ただいま……」



通例のやり取り。



「ん?何か散らかってるな」
別に細かい事を気にするたちでもないが、この男にしては珍しい。



部屋の真ん中には菓子類の包み紙と、コップが三つ置いてあった。
どうやら、来客があったようだ。



「人識君と舞織ちゃんが着てたんだよ。会わなかったかい?」
「いや……全然。もしかしたら向こうも気づかなかったのかも知んねーっちゃ」



この格好だ、たぶんそうだろう。こっちはこっちで結構必死だったわけだし、気づかなくても不思議ではない。
鉢合わせしなくて好都合だったということだろう。



いや、しかし。



「格好悪……」



思わず素で自己嫌悪だった。そうだ、別に自分がいなくとも、奴には可愛い(と、少なくとも双識は思っている)弟妹がいるのだから。別に自分が必死になって帰ってくることもなかったんじゃないかと思える。そう、もう彼は、孤独なんかじゃ ないのに。独りじゃ、ない。
ああ俺の覚悟の失恋は何だったのかと思わないことはない。



しかしそれを見透かしたように、双識は笑った。



「アス」
「なんだっちゃ」
「私は君が早く帰ってきてくれて嬉しいよ」



そんな台詞を、臆面もなく、零崎双識は、言ってのける。
それは、もうどうしようも、なく。



「レン……お前行きたいところはあるっちゃか?」
「?藪から蛇になんだい」
「それ完璧に混ざってるっちゃ!」



藪から棒だ。藪から棒。いや、意味的には大して変わらないが。
お前はそんなキャラじゃないだろう。



「明日は……じゃなくて、明後日も明々後日も……おめーの行きたい所に行って、おめーの食いたい物食って、おめーの好きにさせてやるっちゃ」



その時の、双識の表情を。きっと自分は一生忘れることがないだろうと思った。
それは、言葉にしてしまえば 酷く陳腐な物言いになってしまうのだけれど。



心の底から楽しそうな、微笑だった。
例えば、初めて外に出たあの時の少年のような。



自分自身、酷く表情が緩んでいくのを感じながら、双識の頬に、手を当てて。
……当てた、時。



「うわーおめでとうございますお兄ちゃん!」
「かはははっこりゃもう赤飯炊くしかなさそうだぜ。なあ舞織?」
「本当、そうですよ人識君。私腕によりをかけてご馳走作りますよ!」
「そん時塩を砂糖を間違えるのは外せねーな」
「勿論!必須イベントです!」



例の声が、聞こえる。僅かに頭痛と、めまいを感じつつ軋識が振り返れば 当然のようにそこには愛すべき家賊がいた。




「帰ったんじゃなかったちゃか……」
「いえいえ帰ろうと思ったんですが、先刻すれ違ったオールバックでスーツで必死そうに走ってたあの人はよく考えたら軋識さんじゃないのかと勘繰りまして」
「おかげでこんな傑作なもんが見れて良かった良かった。本当、傑作だ」



二人合わせて、随分と小生意気な笑みを浮かべていたけれど。



「「おめでとう!!」」

その言葉だけはありがたく、受け取っておくことにした。