13.



かん、かん、かん。



上り慣れた階段を、最近上っていなかった階段を、歩く。

麦藁帽子。ノースリーブ。肩にかけた黒い筒状のバックには、愚神礼賛が入っている。
完璧に零崎軋識のスタイルで――彼女に会うのは、初めてだった。


そもそも会えるかは知らない。
軋識がこのマンションの場所を知っていることなど、彼女はとうに知っているのだろうから。
手の届かないところに、逃げてしまっているかもしれない。






・・・・・・元々、彼女に手が届いたことなどないけれど。






自嘲的に笑ってみせる。
何よりおかしいのが、覚悟を決めたつもりになっていながら、彼女の居ない事を望んでいる自分だった。




甘いとは――こういう事か。



彼女の部屋の前に立って、ノックをしてから入る。










「いらっしゃい、ぐっちゃん」










自分の望みが叶うことなどほとんどない。それは――《死線の蒼》に関して、特に。





彼女は、相変わらずの黒いコートに身を包んで――妖艶に、笑った。
綾南豹が調べずとも、自分の動向など彼女に筒抜けだったはずだ。



だから――驚かないのは必然。
逃げていないのは――何故なのだろう。


そう思いながらも、軋識は頭を下げる。





「お久しぶりです、暴君」
「ぐっちゃんのスーツ以外の格好は初めて見たよ。結構似合ってるんじゃないのかな」
「ありがとうございます」
「私もそのうちイメチェンしようかな。しないと思うけど」






まるで以前のままのように、茶番を続ける。







「暴君なら――何を着られても、似合いますよ」
「そ。ありがと」






《死線の蒼》・・・・・・玖渚友は、そこで、パソコンの前の回転椅子に飛び乗った。
足にあわせて、軽く身体を揺らしてから――軋識を、余りに魅惑的で魅力的なその瞳に写して。






ふと、表情を消す。






そして当たり前のように、尋ねた。






「ぐっちゃんは、私の事好き?」
「はい」





当たり前のように迷いなく。
そう、答えれる。
その蒼に――どうしようもなく、惹かれるから。





一歩、彼女に近づいて。肩から黒い筒を下ろす。






「それってどうして? ぐっちゃんは私に恋してるの?」
「――いいえ」





始まりは、羨望だったと思う。憧憬だった――憧れだった。畏怖し、崇め敬うべき存在だと思った。


それから――その羨望は、恋になって。


彼女のいう事ならば、何でも従おうと思って――実際、わき目も振らず、自分の全てを使い、彼女に従って。







今。







その気持ちは――











「ああ」









黒いバックから得物を取り出し。彼女に向かって、また近づいて。射程距離に――入ったところで。
いつでも殺せる、直ぐにでも殺せる、位置に入ったところで。








「そっか。ぐっちゃんは私を愛しちゃったんだね」








酷く納得したような、瞳に見つめられて。彼女の表情に、笑みが戻って。
ただ――それはいつもの笑みとは違い、少しばかり純粋そうな――微笑で。







合わせて――自分も微笑んでから、同時に釘バットを振り上げる。








「――はい。愛していますよ、暴君」











それだけ、はっきりと言って。
重力に任せ――





――振り下ろす。





衝撃が、振動が、腕に伝わる。そのまま床も、僅かに揺れる。飛び散る、破片。





それは、見るも無残な――様相。







少しばかりの――惜しさを覆い隠すように。
零崎軋識は、笑った。