十三.間一髪。
空いた穴の奥底に、日の光が差し込んでくる。
眩しく――熱く――焼けるようだ。
そとに、でた、らしい。
十三階段を登りきった、という事なのだろう。
まあ、途中でエレベータに乗っていたから――情緒が無いといえば、ないのだけれど。


最早、何も言わない。
自分も、視界に男を入れない。
空だけ見て、落ちればいい。
空への距離が変わるかどうかだけ、見てればいい。
見る事だけは、許されたのだから。


「――――」


何を言ったのか、聞こえなかった。
何も言っていないのかも知れない。




「あなた、しにますよ」




ひゅうひゅうと鳴る、既に咳すら出なくなった喉で精一杯に。
呪いの言葉を吐いてみれば、自分を支えている腕が、震えた。
何と、呆気のない余裕。


自分は笑った。
男は乱れた。



その声はもう、聞こえない。
その代わりに――僅かな、かんかんという音。
気をつけなければ気付かないぐらい、寧ろ七実でなければ気づかない、音。



「しにますよ。ぜったいに」



喚き声。
一直線に駆ける。
その度、激しく体が揺れる。
一秒でも早く、汚物を手放したいというように――




かつん、と足音が止まった。




折角景色を楽しんでいたのに――視界を遮る、鈍色の交差。
それはフェンスと、言うらしい。
腕が伸ばされ――掲げるように――浮遊感にも似た――






「七実さんっ」






男の体が、揺れた。

何だ、来たのか――と自分の対応はあっさりとした物で。
ならば死んでは失礼か――と力を振り絞って、フェンスに体を引っ掛ける。
真下にある死は、怖くない。
ああお久しぶりですまたいらしたのですか、今日はお茶でも呑んでいきますか――と、思うだけ。

ぐらり、とまた体が揺れて。


「鑢」


伸ばされた手を、自分も手を伸ばさなければ届かない手を、掴もうか掴むまいかと思っていたところで。
ひっかけていた体の力が抜けて。




「っ……忍法『爪合わせ』!」




その時肉でも貫けば良かったのに――ああでも、そうしたら結局出血で死ぬか、と。
伸びた爪は衣服に刺さり、己の体重でゆるりと布を破いて――こちらを落そうとしてくる。
それに気がついたのだろう、爪の主は精一杯体をこちらに傾け――受け止めるように、手を伸ばす。



――そんなに伸ばしたら、落ちるでしょうに。





「ごめん、蟷螂!」




鞭のしなる音。落下しかけた体が――一瞬停止して。
彼女の細腕で、抑えられるわけもないのに。


落ちるでしょうに、と壊れてきた脳で、再び繰り返す。
呪いの言葉に合わせて、ずるずると、ゆるゆると――落ち込んでいく。
浮遊感が完全に、現れて。



「……なんで最初からおれに任せねえんだよ!」



今度は完全に止まった。
見上げれば。
空を背景に。


右腕は蟷螂につかまれていて、蟷螂の左腕は鞭の様な物を握り締めており、血が僅かに滲んでいるが、気にした風はない。鞭の持ち主、妖艶な女の体もいまや完全に宙に浮いていて――それを止めていたのは、一人の小柄な男。




――足軽、でしたっけ。

確かに、彼が一番に来れば早かっただろう、と思った。



「……引き上げられるか?」
「何さ。そんな風に言わなくても――色々精一杯だったんだからさ」
「大丈夫ですか、蝶々さ……蝶々さん?」
「? 蝶々? どうしたの」
「ごめん」



何が、と三人分の言葉が重なる。









「やっぱ無理だわ」









瞬間、無重力空間に呑まれたような気持ち悪さが、体を襲った。