十六.




「まあ、ここ店じゃねえし、今お前客じゃねえからぶっちゃけちゃうと、おれお前のこと別に好きじゃないわけ」
「……行き成り酷い事言いますね、貴方」
「きゃはきゃは、嘘吐いても気付いちゃうお前が悪い」
「それはそうなのですけれど……嘘を吐く優しさがほしいときもあります」
「この間と言ってること違うぜ」
「そういう個性ですから」


特別外出許可だった。
喰鮫の仲間と店の主人には因縁だとかがあるらしく、その経路で自分にまで話が来ている。
どうにも喰鮫が無理をしたらしいので――しかも嫌な事に自分の所為らしい――見舞いに行け、と。
金つまれたの、と聞くと主人は苦笑していたか。


「だから別におれがここに来る道理もないんだけどさー」
「何だかんだいいつつ来てくださってるではないですか」
「言いたい事とかあったしな」
「言いたい事?」
「ん――勘違っちゃってごめん、とか?」


なるべく軽い調子で言ってみる。
ああ別に構いませんよ、と喰鮫も軽い調子で返してきた。


「大して間違っては居ません」
「でも、殺してなかったんだろ」
「それがどうしたのですか? 殺したいと思ったのですから同じ事ですよ」
「殺したのと――殺したいのは、違くねえ?」
「似て非なる物ではありますが、違うだけで殆ど同じなのですよ。そこに行動があったかの違いですからねえ」


蝶々が止めなかったら事実殺していたでしょうし、とこれもまたあっさりした言葉である。



「そうそう。蝶々は元気ですか?」
「多分。鴛鴦が最近ちょい落ちてたから元気ないのかと思ったけど、元気っぽい」
「鴛鴦――ああ、件の女性ですね」
「件?」
「蝶々が誑かされ――否、その言い方はやめましょうか。蝶々が惚れてしまった女性でしょう」
「前から思ってたんだけど、お前って蝶々と知り合い?」
「元恋人ですよ」
「きゃはきゃは、嘘吐け」
「嘘ではありません。蝶々が鴛鴦に靡く前は、こちらの世界では知らない者のいない程の仲間睦まじい恋人同士だったのですよ。蜜月には毎日愛を囁いてくれたものです。ちなみに蝶々は鎖縛するのがお好みの様でした」
「……嘘だよな?」
「どうでしょうね?」



喰鮫は楽しそうに笑った。
どうせ人の話など半分ぐらいしか信じていないから、構わないけれど。



「謝らせていただけますか」



疑問系で言ったものの、どうやらただの前置きだったようである。
ゆっくりと頭を下げる、男。
どうにも不自然な動き方で、本気で体が動かないのだなあと思う。
演技をしていなければだけど、と無意識に注釈をつけるのが自分の可愛くないところだ。

もっとも可愛さなど必要ないのだけれど。
可愛さを偽るだけの賢さがあれば問題ない。



「すみません」
「何で謝る?」
「嘘を吐いてしまいました」
「いやそれで謝るなよ。おれの立場ないし」
「すみません。謝らないと自分がいたたまれなくって泣きそうなので謝らせてください」
「やだよ。泣くんなら泣いちゃえ」
「嫌ですよ。みっともない」
「さっきからお前、おれの立場なくす事ばっか言うんだな……」
「好きな相手の前でそういう姿は晒したくない物なのです」
「知ったような口聞くな?」
「知っている訳ではないのですが、今悟りましたから」
「ふうん。おれは好きでもない奴の前での方が泣きたくないけど」
「その辺は価値観の違いかも知れませんね」
「だな。だからここはおれの価値観に従っちゃえよ」
「そういうものですか?」
「そういうもんだよ」
「では遠慮なく」



喰鮫の頭が、軽く肩に乗せられる。



「わたしが勝手に思って勝手に行動して勝手に失敗したことで、貴方にとっては大きなお世話で迷惑極まりない行為だとは思うのですが」



貴方をあそこから出したいと思いました、と喰鮫は言った。
俯いている所為か、声はくぐもっている。


どうせ泣けって言ったって泣けるもんじゃないよなーと思っていたら、自分の肩口が湿った。



「え、何マジで泣いてる?」
「あ、いえ。今日は蝙蝠がやけに優しいと思ったら涎が」



肩を思いっきり押し上げると、予想通り喰鮫の顔面に肩が激突した。
勢いがついたのか、そのまま後ろに倒れる喰鮫。




「きゃはきゃは、おれが今日やけに優しいのはお見舞いっつー使命を負ってるからだからな。病人怪我人には優しくしねえと」
「今全然優しくなかったですが」
「変態には厳しくしねえと」



そこで何故か笑い声が聞こえる。
訝しげに、後ろに倒れた喰鮫を覗き込むと、目尻から涙が零れていた。




「……お前、さ」
「今の攻撃が目に入りました。とても痛いです」
「そりゃ悪かった」



身を乗り出して覗き込んでいたら、背中に手が回される。
その手は微妙に痙攣のような動きをしていて、力がまるで入っていなかった。
二度目に会った時に――自分を拘束した力は、まるでない。




だから自分は、その弱い力の赴くままに、抱きしめられた。




「おれ、お前のこと好きじゃねえよ?」
「知っています」
「お前、おれの何処が好きなわけ?」



それが一番聞きたかったかも知れない。
どんな答えを返せば正解というわけでも、ないのだけれど。
自分が嫌いな自分の何処が好きなのか、聞いてみたかった。



「とてもそそる体していますよね」




一瞬ずっこけそうになった。



「それ多分、一番やっちゃ駄目な口説き文句だな……」
「いいえ。実を言うと貴方を見かけたのはあの夜が初めてでは決してなかったのですけれど」



あの夜。
自分の泣いた夜。



「泣いている貴方に――欲情したのですよ」
「きゃはきゃは、やっぱりそっち系なのかよ」
「事実ですから。抱きしめて口付けて犯して永遠に手元において置きたいと、思いました」
「生々しい欲求――ってか怖っ」
「恋など根源的にはそういう物でしょうに」




喰鮫は笑った。
そしてそのまま、言う。



「いいですよねえ。仕事終わって帰ってきたら貴方がいるのです。小さくても二人だけの家に住んで、たくさんの時間一緒にいて、たくさん話して、たくさん抱きしめて、たくさん口付けて、時々喧嘩する――」
「夢見すぎだろ」


「――ああ、でももう、体、動かないんでしたっけ」



すみません、と再び男は謝った。
笑顔だった。




「ねえお前、もうおれの事助けてくれねえんだ?」
「そう――なりますかね」
「嘘吐き」



幾度目かの謝罪を、男は繰り返す。




「すみません」
「金持ってねえの?」
「使わない上に最近少し頑張ってみたりしましたから、まあ溜まってはいますけれど。貴方を買えるほどはないと思いますよ――残念なことに」





その殊勝な態度がむかついたので、罵倒してみた。




「ばーか」
「わかっています――わかっています、わかっています、わかっています」







「出してよ」





嘘吐き。
出してくれるって、行ったくせに。
出そうとしたくせに。
ぼろぼろになるまで頑張って、無理して無茶してわけわかんなくて、体、動かなく、なってまで。
そこまで頑張っても結果が出ていないなら、認めてなんかやらない。
同情なんか、してやらない。
情けなんかかけてやらない。
嫌な奴で、大正解。





なあ、お前、








「おれの事好きならちゃんと約束守れよ――そんな、体が動かなくなったぐらいで諦めてんじゃねえよ」







なあお前、俺の何処に、惚れた?







「ばーか」
「……泣かないでくださいよ」
「泣いてるのはお前だ」
「まさか」
「ばーか」
「蝙蝠」
「馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。馬鹿野郎」
「困りましたね」



もう少し悪あがきしたくなってしまいました、と喰鮫は言う。



「ねえ蝙蝠、契約を致しません、か?」