十. 卑猥な水音。 淫猥な喘ぎ声。 衣擦れの音すら、酷く耳障りだ。 そしてその持ち主を、自分は知っている。 知っているからこその――耳障り、なのかもしれない。 笑い声のような物が響き、部屋からは一人の男が出てきた。 それなりの地位あるものなのだろう、衣にそれが現れている。 ふ、と自分の手が左右にある刀に触れるのがわかった。 その時点で、何がしたいのかも――概ね理解した。 理解したところで、疑問に思いながら、自然に手は動いて―― 「……ああ、やってしまいましたね」 刀が男に届く直前、切っ先を何者かに反らされる。 男は何にも気がつくことなく、そのまま去っていってしまった。 「お願いしたはずだがな――店の中で殺すな、ってよ。店の中でっつーのは例えの話、一歩でもでりゃあいってわけじゃない」 「残念ながら、お願いに強制力はありませんよ。命令ならばその限りではありませんがね――」 止めてくれましたね、やっぱり。楽しそうに笑うと、 「こっちも命令でね」 久方ぶりに、袖のない装束を着ている男――かつての仲間――蝶々と向かい合った。 そして、のんびりと口を開く。 「ふむ。不味いですねえ――この狭い室内ではわたしが圧倒的に不利です、」 「不味いのはこっちも同じだ……あんたはここを壊す心配しなくてもいいけど、おれは店に被害が出ないようにしねえといけねえんだからな」 「ではおあいこなのですかね――ふふ。しかし、矢張り渦刀は使えそうも無いですね」 出していた刀を再び腰に差し、喰鮫は開いた両手をひらひらとふった。 「肉弾戦と参りましょう。拳法家たるあなたと肉弾戦というのも嫌な話ですが、そこは私が現役という事で」 「ああ――そうだな」 * * * 決着は一瞬だった。 決着に至るまでは少し時間を要したが、決着自体は――一瞬だった。 見下ろすようにたっている喰鮫の腰――二本あった筈の刀は、一本になっている。その一本に繋がる鎖は天井に引っ掛けられて向きを変えられ、抜き身の刀身は、蝶々の背中を真一文字に切り裂いていた。 「その刀、そんなに上手く扱えるとは知らなかったがな――振り回すだけかと思ってたぜ」 「それは貴方がいた頃の話です。だから鈍ったと言ったのですよ――蝶々」 「鈍った、ね――」 「ええ。私が肉弾戦だと言ってから、貴方は無意識に渦刀を意識から外し、わたしの体の動きにのみ反応していたでしょう――可笑しいと思うべきでしたね。肉弾戦ならば、重たい刀を提げたままやっては不利ではありませんか」 「……確かにな」 斬られたにも関わらず、蝶々のその表情は、何故だか楽しげだった。 「? 蝶々、貴方もしかして少し見ない間に被虐趣味が「ねえよ!」 つっこんでから、自分の声が傷に響いたのか、蝶々は顔をしかめる。 「別に――鈍ったってんなら、成功だと思っただけだ」 「成功? それはわざと鈍らせたという意味ですか――おかしいですね、おかしいですね、おかしいですね」 「斬れすぎる刀の刀身は――誰にも持てない」 「………………」 「誰かに持ってもらう為にゃ、鈍るか鞘を探すかするしかなかったんだよ」 「……そうなのかもしれませんね」 てっきり馬鹿にした言葉が帰ってくることを予想していた蝶々は、喰鮫を見上げた。 そして、自分が大きく勘違いをしている可能性に気がつく。 「喰鮫どの、まさかあんた――」 そう、声を掛けようとした時だった。 「蝶々? なんかすげえ音したけど――って」 まるで出来損ないの三文小説のように。 しかし、彼が現れたのは必然だった――何せ、彼が部屋を去ってから大した時間はたっていない。 「何、してんだよ、お前」 「こ――もり、どの」 |