十六. 辺りは赤く染まっていた。太陽が沈む。 「……何勝手に沈んでるんだ」 我ながらよくわからない八つ当たりだった。 うじうじと――働きもせずに、こうして何日経っただろう。 その間食事はしたのだろうか。生きているという事はしたのだろうけれど。 狂犬にまた迷惑をかけたのかもしれない――そう思う。 「蜜蜂」 「……」 「蜜蜂ったら。お客さんよん」 「…………」 「お客だったら」 「………………」 「客だっていってんでしょうが!」 後頭部に鈍い衝撃があって、前につんのめった。 思ったように力が入らず、そのままこける。 無様だった。 「……大丈夫か?」 「大丈夫じゃないです」 覇気のない声で言い返して、立ち上がる。 付いた砂を、蟷螂は払ってくれた。 「ああ、ありがとうございます」 「いや、構わぬよ」 自分は再び腰を下ろし、なんとなく沈んでいる太陽を眺める。 ……あれ? 今、結構見逃しちゃいけないところを普通に流してしまったような―― くるり、と顔の向きを変える。 そこには一人の男がいて、自分が着ているのと同じような着物を着ていて、しかし何だかそぐわない。 着慣れていないというか、自分が見慣れていないというか。 「蟷螂さん!?」 「わたしだ」 「な、何か僕に用ですか」 「これは鳳凰からだ。以前代金を払って途中で帰ってしまっただろう」 「ああわざわざどうも――」 何だ、所用で来ただけか。 少しがっかりした。 しかし、何か言う良い機会なのかもしれない―― 「蟷螂さん」 「何だ」 「僕、貴方が好きですよ」 「この間聞いた」 「気の迷いじゃないですよ」 「この間理解した」 「蟷螂さんは僕が嫌いですか」 「嫌いではない」 「蟷螂さんは僕が好きですか」 「好きだ」 「なら……一緒に暮らしませんか」 「いいぞ」 「お願いですから――あれ?」 いいんですか、と力なく聞くと、ああ――と肯定の返事。 途端体に力が入った。 「い、いいんですか!?」 「いや、頼みに来た。ぬしに面倒をかけようかと思ってな」 「め、面倒じゃないですよ……! え、でも、何で」 いや――どうでもいいのか、そんな事は。 蟷螂は淡々と言う。 「もっともぬしに面倒をかけていたのは今に始まったことではなさそうだがな。店で使った金は、借金として覚えてくれていい」 「借金とかいいですよそんな事! 夫婦になっちゃえば、そんなの関係な――あ」 興奮の余り、妙な事を口走った。 顔が火照る。 「あ、いや、物の例えで――」 「それで構わぬよ」 「は」 「どうにも、ぬしに対する気持ちというのがよくわからなくてな――好意のそれには間違いが無いのだが。それがどういう種類の好意なのか」 だが別に分かる必要はなかったようだ、と続けた。 「ぬしが弟ならば兄になればいいし」 蟷螂は言う。 「ぬしが子供ならわたしは親になろう」 蟷螂は言う。 「ぬしが友人ならそれで構わない」 蟷螂は言う。 「夫だというなら――妻になるさ」 蟷螂は、言う。 「言葉をつけるから失敗する――そんなもの、大して関係ないというのに」 「蟷螂、さん」 「弟だろうが子供だろうが友人だろうが恋人だろうが、私はぬしが好きなようだ」 兄さんで、母さんで、友達で――恋人で。 言葉は関係ないと、その人は言う。 「蟷螂さん」 だから好きですと、再び繰り返すことはしない。 ただ、言葉を唱えずに――そこで初めて、自分は蟷螂に口付けた。 乱 れ た 秩 序 に 流 る る 小 石 |