自分がどうやら才能というものを持っているらしいと、気がついたのは結構前のことだった。 他人が羨ましがるそれを、自分が誇るべきそれを、望まずとも努力せずとも与えられた自分は。 それを、酷く鬱陶しいと思った。 いらない。こんなのはいらない。 欲しいなんて思っていないし、あげられるなら誰かに託したい。 そんな、重たいもの。 そんな、大事なもの。 お願いだから、自分になど預けないで―― 最初は絶望で。 次に、切望して。 だから。 だから自分は――弱さを、手に入れた。 強さを守るために、弱さを取得し、所有した。 生き残るためには完璧でないことが何よりも必要だった。 生き残るためには影で言われる悪口の根本が必要だった。 最初は演技だった。 弱さは、自らが勝手に正当防衛と名づけた、演技だった。 それを始めたのが――一体どれほど昔か。 既にその弱さは、演技ではない。 体に染み付き心に病みついた――自分そのものになっていた。 そしてその弱さを。 自分の作られた弱さを。 「お前が××――だね。私は真庭人鳥だ。よろしくね」 あの人は、見透かした。 何も見えない――暗闇に生きるあの人は、見透かした。 * * * 「人鳥さま」 「私は様付けで呼ばれる程大層な人間ではないのだけど……まあ、仕方ないのか」 彼は困ったように笑った。瞳が見えない所為か、感情が少しも読めなかった。 「僕は、卑怯ですか」 「しのびは大抵、卑怯で卑劣で、そしてそうじゃなきゃならないんだよ」 答えになっていない。 だから質問を、続ける。 「仲間にた、対しても?」 「川獺なんかは仲間に対しても友人に対しても弟子に対しても、よく嘘を吐くね」 また、誤魔化された気がした。 「そ、それは……ここ、答えになって、ない、です」 「ああ。確かにこれは答えではないな。ごめんごめん。そうだな――私は」 包帯の裏にある瞳を――正確には瞳のあるだろう場所を、見つめる。 矢張り何も――わかりは、しなかった。 「お前は卑怯だと、思っている」 「………………」 予想していた、同時に期待していた答えであったはずなのに――思わず、言葉をなくす。 しかしそれすら見透かしたように、彼は続けるのだった。 「勘違いをしては、いけないよ」 「……か、勘違い?」 「お前のその卑怯さを、私は恥ずかしいとか、嫌らしいとか、醜いだとか――そんなことは、思っていない」 彼は嘘を吐かない。 彼は間違ったことを言わない。 常に、彼の言葉は正しい。 だけれど――正論だからこそ、抗いたくなる、時もある。 正論とは得てして、そういうものだ。 その微妙な心の動きを読まれたのか、口を開いた瞬間に語り始められた。 見えていないのに、そのタイミングは実に微妙で――絶妙であり、巧妙だった。 「寧ろ弱くあるというのは良いことなんじゃないかな。強くあれるのに弱いことを選択できるというのは、私としてはかなり羨ましいところなんだけどね」 「ぼ、僕は――強く。強くあり続けることの方が――」 大変で、とても偉いと思うのですけど。 それは逃げないということだから。 自分は逃げて、彼は逃げなかったのだから。 否――彼だけでなく。 頭領達は全て――そうなのだろう。 例えば――一番に浮かぶのは、真庭蜜蜂の顔。 天才と呼ばれ、今だ呼ばれ続ける彼は、その重圧をものともせずに堂々と、立っている。 その重石を――逆に押し返すような強さを持ってして。 そう伝えると、人鳥は少しだけ笑みに苦味を加えた。 「まあ――蜜蜂の場合は、少しばかり勝手が違うけれど」 「?」 「いや、こっちの話だよ。彼は彼で――否。彼がもしかしたら一番凄いのかもしれないけれどね」 最後の方は独白するような調子で言って、気がついたように話題を戻す。 「確かに強くあるっていうのは大切なことだよ。だけど、強い者は優しくあれない」 「……逆では、な、なくて?」 「そう。だけど優しくあるためには強さが必要だ」 矛盾している。 矛盾しているのに、何処か筋が通っている。 筋が通っているようで、しかしやはり矛盾している。 だけど他ならぬ真庭人鳥のいう事なのだから――意味は、あるのだろう。 「弱ければ優しさを与えることが出来ない。持っていても、与えられない。逆に、強い者の与える優しさは――与えた瞬間、甘さになってしまう」 「どう、いう」 「例えば」 彼は指を一本挙げた。 「お前がある任務で失敗を犯してしまったとする」 「…………は、はあ」 「かなり大きな失敗だと仮定してみて欲しい」 まあお前がそんな大きな失敗などしないのは知っているけれど、と人鳥は冗談のように言った。 「まあ、その時同行していた相手によって対処は代わるだろうね。ある者はお前を殴るかもしれない」 当然だろう。 任務で失敗したらならば。 「ある者はお前を罵倒するかもしれない」 「はい」 「ある者はお前を慰めるかも知れない」 「はい」 「ある者はお前を許すかもしれない」 つまりは―― 「それが優しさと甘さだよ」 そう、人鳥は結んだ。 結ばれたものの、矢張り意味はわからなかった。 「任務が失敗して腹立ち紛れにお前を殴ったり罵ったりすれば、これはまあ優しさではないね。与える余裕がないんだよ、そういうものを。 しかしお前を無条件に許し、慰めてしまう――これは確かに余裕のあるやり方だけど」 「あ、甘い――ですか」 「そういうことだね」 ある意味では、感情に任せ余裕なく、殴ったり罵ったりしたほうがよいのだ。 そうすれば二度と――そんな失敗をしようとは、しなくなるだろうから。 学習する。精神が、肉体が――全身が、学習するから。 もっとも。 それで折れてしまう才能も、あるけれど。 「ぺ、人鳥さまなら」 「ん?」 「どうなさるんですか」 「まず叱るね」 彼は即答した。 まるで、そう言う自体があることを常日頃から考えているかのように。 「それから、どうしてそうなったかを考える。改善点を探して、改善方法を探して、改善させる。もしもその事が里の大問題に発展したら、私が責任を取る」 「……か、かか……完璧じゃ、ないですか」 「駄目だよ」 それもまた、即答だった。 出し切った計算式の答えを言うように、即答だった。 「責任なんて肩代わりされても困らないかい。責任を奪われたほうは嫌じゃないか。責任をとらせたという罪悪感に、周りからの目もあるだろうし――結局この方法では、私が楽になるだけだ」 「……えと」 「これはたぶん、周りから見れば強さなのだろうとは思うよ。だけど、甘い」 「なら」 結局どういったって駄目なんじゃないか―― 「人鳥さまは……ご、ご自分に――優しくないです」 「まあ、優しくはないよ。甘いけれど」 こういうとき。 決まって彼は――自嘲したような微笑を、浮かべる。 「ねえ、××。私はお前に、とても嫌な事を言うよ」 「……ど、どうぞ」 「優しくあってくれないか」 一瞬、あっけにとられる。 嫌な事――なのだろうか。 嫌な事――なのかもしれない。 「勿論あれなくても私はお前を軽蔑したりしない。これは強制でもない。というか、自分に出来ないからって人に押し付けるのはかなり身勝手だからね。 ただ――お前なら、可能性がある気が、するんだ。決して奢らず――弱くあろうとする、お前なら」 「……は、あ」 それはとてもとても彼らしい、押し付けない期待の仕方だった。 自分が期待というものを何より恐れることを、恐らく唯一知っている彼の、優しさだった。 だけどその優しさは、彼の手にかかればたちまち甘さにされてしまうに違いない。 誰よりも優しいくせに。 誰よりも自分に優しくない。 だけどだからこそ、誰よりも優しくあろうとする。 その思いだって、きっと優しさ。 だから何も、言わなかった。 言わなかったし、言おうとも思わなかったし、そもそも、言えなかった。 * * * 誰に非があるのかは、明らかだった。 百人いれば百人、千人いれば千人――自分が悪いと言うはずだ。 否――ただ一人。 犠牲になった彼は除いて、だけれど。 「人鳥さまっ!」 「こら」 ぽん、と軽く――それでもいつもよりかは強く、頭を叩かれる。 相変わらず――見えていないはずなのに、その縮尺に間違いはなかった。 そのまま頭におかれた手から、生暖かいものが頭から頬へ伝う。 「駄目だろう、ちゃんと言いたい事は言わないと」 「ぺ……ぎっさま」 「遠慮はいらない。躊躇もいらない。お前がおかしいと思えば、おかしいと思ったと伝えればいいんだよ。誰も責めはしなし、責めたらそれは責めた方がおかしいんだからね――言いたいことを、言いなさい。それがまず改善点だな」 「しゃべ……ないでくださ……!」 彼の盲いた瞳を隠す包帯は、彼の血で真っ赤だった。 ただ話す彼の口調はあまりにも平気そうで、もしも声だけなら騙されたに違いない。 だけれど――自分には、見える瞳がある。 彼の状況が危ない事は――見れば、判断できる。 「改善方法は、お前次第だね――こればっかりは」 そこまで言って、ゆらりと肢体を揺らす。 揺らしただけでは飽き足らず、倒れこんだ。 「人鳥さま!」 「誰かを呼びに行く必要はない。無駄足だよ――××。それより、一緒に居てほしい」 「そ、んな」 彼のいう事は、いつも正しい。 ならばそうなのだろうと、冷静な自分が頭の隅で囁いた。 「聞いてくれるかい」 咄嗟に頷く。慌てて声に出そうとする前に、彼は「ありがとう」と言った。 「私は人殺しなんだ」 「……それは」 当たり前だろう。 そう思うと、彼は首を振った。 それは自分の思考を否定したのか。 それとも単に頭が重いだけなのか。 「語弊があったね。言い換えよう――私は、友達殺しなんだ」 「え――?」 「正しいことをしていれば、どうにかなると思っていたんだよ――吐き気がするぐらい、甘いことに」 それは最早、独白だった。 誰にも告げずに来た、そして誰にも告げないだろうと思い込んでいた――独白、なのだろう。 「守る事で、慰める事で、庇う事で、許す事で、逆に人を追い詰めた。最低なんだよ、私は」 「そ、れは」 「彼には――酷く、迷惑をかけた。否、そんな言い方は甘すぎるか。あの時、彼は一度死んだ。私が、殺した」 微笑が、苦々しげな表情に変わる。 「知らなかったですまされない。わからなかったですまされない。言い訳なんて出来ない。無知は免罪符にならない――彼の方が余程、余程優しかった。私は愚かで、いつまでも甘いままだ」 「………………」 「あ」 そこでふと、気がついたように彼は独白を終えた。 余りにも短すぎる――最期をしめるには簡単すぎる独白を、迷いなく終えた。 自分の気持ちなどは少しも大切ではないように。 もっともっと、大切なことがあるように。 或いは――これ以上気持ちを吐露して、誰かが気に病んだりしないように。 その優しさは、もどかしく。 優しさゆえに、払えなかった。 「××」 にっこりと――彼の持つ笑いの中で、最上級の微笑をこちらによこした。 「お前は自信を持ちなさい。お前はすごいよ。才能だってすごいけれど、何よりその心がすごい」 「……前と、言ってることが――違います」 奢るなといったくせに。 最期に褒めるなんて、ずるい。 「それが私の甘さなんだ」 その時の表情。 それは、少しも自嘲などしていない―― 何かを誇っているような、表情だった。 「さて。そろそろ制限時間も近づいてきたね。最期に何か言っておきたいことは?」 「……僕の、所為です」 「まあ、そうかもしれないね」 彼は明るく肯定した。 まるで他人事のように、肯定した。 「だけど結局世界なんて、なるようにしかならないんだ――その一場面だけで、お前の価値は決めることなんてできない。 お前が今まで私に与えてくれたものを考えれば、こんなのは微々たる物だよ」 「だけどっ」 「××。お前はよく私に言ってくれたじゃないか――私のいう事は、全て正しいんだろう? なら」 信じなさい。 幼子をあやす口調で、彼はそう呟く。 「ああ――そろそろお別れだ」 「人鳥、さま」 彼の唇は、最後に何か動いたようだった。 ごめんね、だけは見えて。 次に続く言葉は、わからなかった。 誰かの名だったのかも知れない。 ただの痙攣だったのかもしれない。 わからなかった。 ただ―― 「僕は」 優しくありたい。そう思った。 彼がなんと言おうと、彼のように――優しくありたい。 彼のように、なりたい。 それは重圧などではなく。 周りからの期待などではなく。 自分の内側から沸きあがった、確固たる意思。 ああ、そうか。 彼は自分を許すとは言わなかった。 許さないことで、自分を許した。 救った。 誰に恥じる事もない。 最期のそれは――優しさだったのだ。 驚く程に甘美、な。 070 笑って許してあげたかったのに |