「俺はあいつが嫌ーなんです」
「ふうん? 君がそこまで言うのも珍しいな」


しかし仮にも真庭蟷螂を継ごうかと言う弟子を、嫌いとはまた激しい物言いだ。
滅多に崩れない、皆無と言っても差し支えないぐらい崩れない表情の持ち主を、ぼおっと蝶々は眺めた。
矢張りその顔から、何も読み取れはしない。



「何で?」
「知りやしねーですよそんな事。むしがすかねーって奴じゃないですか」
「やったら、具体的にどう嫌い?」







「まず」








男は指を一本上げた。




「あいつといると動悸が激しくなって胸やけがします」
「………………」
「自分のペースが崩されます。なんかそわそわ落ち着かなくなります。自分の行動が制御できなくなります」






次々と上がっていく指。





「この前なんか、見てたら体に腕回して殺してやりたくなりました」
「……一つ、言わせて」






どうぞ、と促されて蝶々は言った。









「それ、好きと違うの?」
「………………」










無表情な男は、平然と言い切る。














「好きってなんですか?」












絶句したのは蝶々の方だった。









* * *












「……吾に何の用なのだ? 酒なら付き合うがな」
「違う違う。今回は真面目な話」






そう言った同じ虫組頭領の一人、真庭蝶々は本当に真剣な顔をしている。
しらっとした表情でついてきたのもまた同じ頭領の、真庭蟷螂だった。





「僕には荷がおもかってん……蜜蜂。君の力が必要」
「? 貴様がそう言うのも珍しい。何があったか言ってみろ」





ぽん、と両肩に手をのせられる。
こうすると身長さが如実に現れて物凄く不愉快なのだが、それを認めるのはもっと不愉快なので黙っておいた。

大体、どいつもこいつも身長が高すぎるのだ。

一人、若輩の癖にやけに背の高い見習いを思い出して更に不愉快になった。






「蟷螂に好きって何か教えて……!」
「はあ?」







何の冗談だと改めて同輩の顔を見れば、青ざめてさえいるようである。





「は? はあ?」





改めて言い直した。









「言い直すな……! 必死! 僕必死!」
「いや待て貴様。好き? 好きって……」





蟷螂に視線を向けると大きく頷かれる。






「蝶々に、うちの真面目な弟子君が俺は嫌いだっつー話をしたら、それは好きなんだとか言うもんですから」







抗議するような顔の蝶々に詳細を耳打ちされる。






「はあ?」







三度目。








「いや……それは、好きなのであろう?」
「だから好きってのがなんなのか俺にはよくわかんねーんですよ」
「貴様は生まれてこの方何かを好きになったりしなかったのか」
「全然」





蜜蜂は、完全に暗黒面に落ちかけている蝶々を哀れそうに見た。
何気に常識人でツッコミ役なこの同輩は、いつものごとく頑張ってツッコミを入れたのだろう。






「……いい加減ボケを流す事を覚えんか貴様は」
「だってもう駄目……!」
「あんたも次の候補が出てきたらその常識的な思考は伝えねーほうがいいですよ」
「僕だってこんな苦労する割に個性が薄い役割継いでいこうとか思わんよ……! むしろ全力を持って阻止する。全身全霊を掛けてここで止める……だけど君が言うな!」







最後のが既にツッコミなことに気がついては居ないのだろう。
そして最初の決意もまた無駄になる事になるのだが、それはまた別の話だった。
仕方ないのでぐだぐだと話題を戻す。





「そうか……まあ前から変な奴だとは思ってはいたが、そこまでか……ここまでくると寧ろ天然であるな」
「好き。好き。好きーですかー?」





感情の篭らない声だった。
むしろ適当。







「どういう事を思ったりしたりしたら好きなんで?」
「……そんなもの抱きたく「そこまでにしなや蜜蜂」







限界を超えた蝶々は怖い。
知っている蜜蜂は黙って引いた。






「吾に教えろと言ったのは貴様だろうに」
「天然に変な言葉教えると後が怖い……」
「別に俺は天然じゃねーですが」
「「天然は皆そう言う」」
「ふん?」






無表情で考え込まれる。








「というかこの場合、得意な人間に聞くのが得策であろう? 例えば鴛「待っその先言ったら……!」



「ごきげんよう。呼ばれましたので飛んでまいりました。真庭鴛鴦ですわ!」










遅かった。


高い声のする方を見つめれば、仁王立ちで堂々と、真庭鴛鴦が立っている。
蝶々は顔の前で手をひらひらと振った。







「呼んでへん呼んでへん……」
「貴様は本気で神出鬼没か」
「いえ、今回はたまたまです」






今回は、というのが気になったがとりあえず流すことにした一同。







「恋愛沙汰においては私が語るしかないでしょう」
「君長いもん。語ると」
「語りは長いものなのです」
「まあ俺は飽きたら途中で逃げますがね」
「教えを乞う割に失礼だな貴様」







真庭鴛鴦はびし、と蟷螂を指差した。そして宣言する。












「好きに定義はありませんわ」













うわあ。


今までの努力(主に蝶々の)を全て無にする発言だった。







「ねーんですか?」
「ありません。強いて言えば言葉に出来ないその衝動を、人は好意と名づけたのですわ。皆はそれを経験で知っていくのです。ただ、貴方の場合経験があって言葉がないだけのようですから」






そこでふ、と笑う鴛鴦。
なんでこいつ今回こんな偉そうなんだろうと、皆が思ったけど誰も言わなかった。










「わたくしが宣言してさしあげます。貴方の××に対する気持ちが"好き"です」












鴛鴦様……!
吃驚の暴君ぶりだった。








「はあ。わかりやすいですね」







しかし対する蟷螂は、単純に話が短かったことが嬉しかったのだろう。
当然のようにそれを受け入れた。









「え、ええ!? それでいいん!?」
「成程。これが好きなんですね」
「お前一体幾つ……!」
「忘れました」
「忘れたのか!」






鴛鴦は肩で風を切って去っていってしまった。
一仕事した後の、清々しい後姿である。






「ふむ。これでまた一つ学びましたね」
「遅いぞ確実に」
「一つ、理解も出来ました」







そこで蟷螂は、同じ虫組の二人に向かって言う。



しかも、無表情で。









「俺はあんたらの事も好きなんですね」






隣で蝶々が、ちょっと待て君もしかして今の今まで僕らのこと嫌いだと勘違いしとったんか、という鋭いつっこみが入ったけれど、それが照れ隠しである事は明白だった。












「……天然」












こいつの寵愛する弟子に、天然が移らなければいいが。

これもまた照れ隠しだとはわかっていたのだけれど、真庭蜜蜂は思考した。