「わたしが頭領になって――一緒に任務が出来たら、素敵ですねえ」 そういうと彼は、珍しく少し困ったように笑った。 そんな事がありえないと、知らなかった幼い日のことだった。 「××――」 彼の名前は、真庭喰鮫という。 わたしは所謂、その後継者――次代の喰鮫になるべく育てられた、しのびだった。 彼から何と呼ばれていたか――喰鮫以前の名前を、私は思い出せない。 「もっとしっかり握れや」 「起きていましたか」 「ああ。そろそろだと思ってたよ、俺ァ」 真庭喰鮫と呼ばれた彼は、既に随分と消耗しているようだった。 一時は最強とまで謳われた彼も、寄る年波には勝てないのかも知れない。 「怒りませんか」 「怒らねェ」 「悲しみませんか」 「悲しまねェ」 ここは彼の寝室――床に臥せった彼を、わたしは見つめている。 手には――短刀。 「おら、さっさと刺せ」 所謂――闇討ち。 もっとも、わたしの浅い考えなど、彼は既に分かっていたようだった。 「迷ってんじゃねェ、てめェがそんな――なよいタマか」 「迷ってなど、いませんよ」 「はッ……どうだかなァ」 馬鹿にしたようにそう笑うと、彼はわたしの手を握った。 「××」 そして、わたしの名を呼ぶ。 太い、安心するような――低い声音で、私の名を呼ぶ。 多分、幼い日の言葉は嘘ではなかった。 わたしは本当に、この真庭喰鮫という男が好きだったのだ。 師として。しのびとして。何より、人間として。 「俺は喜ぶ。てめェがこの選択をしたことを、喜んでやんよ。……ま、本当言うと俺ァ戦って死にてェんだが――人鳥の野郎の言うとおり、人間譲歩も大事だァな」 肩頬を吊り上げて、心底楽しそうに笑ってから―― 「てめェは戦うの、嫌いなんだろ?」 わたしの手ごと、自分の手を振り下ろした。 返り血が、わたしの頬を伝う。 「……馬鹿、ですねえ」 馬鹿ですねえ。もう一度繰り返した。 馬鹿はてめェだ。 そんな憎まれ口が、帰ってくるのを待ち、ながら。 * * * 次代の真庭喰鮫を、わたしが襲名したのはその直ぐ後のこと。 他にも幾人か候補はいたのだが――どうやら遺書らしきものが残っていたらしい。 そんなものを書く性格ではないから、少しだけ自惚れる。 最後まで、わたしの行動はあの人に見透かされていたようだ。 「××。本日から、お前は真庭忍軍十二頭領が一人――真庭、喰鮫だ」 「それは、どうも。嬉しいですね。嬉しいですね、嬉しいですね、嬉しいですね――」 と。 「あの人は――何故死んだのでしょう」 何故自分がそんな事を聞いたのかは、よくわからなかった。 真庭鳳凰は――少し眉を顰めて、答える。 「自殺――のようではあるのだがな。ただ、いくつか不明な点があるが――」 「そう……ですか」 「笑っていた」 ぽつり、ともらした言葉。 「笑っていたよ――先代の、喰鮫どのは」 「そうですか」 変な人だ。 とてもとても、変な人。 それからわたしは、真庭喰鮫になった。 先代に恥じぬように、真庭喰鮫になった。 最近頭領になった、真庭川獺――彼の忍法は、物の記憶を手繰るものらしい。 あの時彼が成熟していたら。 きっとわたしの事は、ばれてしまっていただろう。 だけれど――それでも。 「何処かでそれを願ってた気もするんですから、不思議ですね――」 やっぱりてめェは馬鹿だ。 記憶の中のあの人は、そう言って笑った。 |
097.できれば知りたくなかったこと