「何……ですか、これは」


渡された白い紙。
正確に言うなら、手紙。
それを手に、訝しげな表情を作る少年。



「恋文じゃないですから安心してください」
「そんな心配は……しておりませんが」
「そうですか。相変らず真面目なことです」




飄々した様子で、それでも無表情に、真庭蟷螂は言った。




「問題なんですよね、そういうの」
「何が――」
「あんたのそう言う態度ですよ」




肩を竦められる。




「残念ながら俺はまだまだ若いんですよ――現役です」
「それが」
「ところがあんたは既に成熟しちまってるんです」
「わたしは……まだ、未熟で」


何がいいたいのだろうか。
訝しげな少年の視線を、真っ向から受け止める男。
言い含めるような口調で続けた。




「俺はあんたならもう頭領に任せられると思ってるんですよ」
「……いえ」
「ただ、俺もまだ退くには少し、若いんですね」
「ですから、わたしは別に」
「それが駄目だっつってんだこの唐変木」




辛辣な言葉。それでも、無表情は変わらない。





「俺はあんたが、弟子が師に従うのは当然で、師が引くまでは自分は表に立てなくてもいいって――そう、心底自分に偽ることなく思ってるところが、やなんですよ」
「それ、は当然でしょう」
「唐変木」



もう一度言ってから、男はつまらなさそうに視線を青年に向けた。




「いいですか。いい弟子ってのは決して師匠以上にはなれないんです。あんたには俺を超えられるだけの才能も根性もあるんですから、もっと蹴落として行ってくれないと困るんですよ。そもそもあんたみたいなのにいてもらっちゃ、俺の存在が揺らいでしまう」
「………………」
「まあ端的に言うと、いい子ぶんなっつーことで」




真庭蟷螂はゆっくりと、青年の手にある手紙を指差す。




「それは果たし状です」
「……っしかし」
「師匠命令です――全力で、俺を殺せ」



にやり。無表情だった男の頬が――ようやく釣りあがった。









「俺は全力で、あんたを殺します」








書いてある日時は、明日の昼。
自分が勝った時の事は、委細言及していない。
ただ――少年が勝った時の事は、少しだけ書いてあった。







次の日。








真庭蟷螂は――いつもの気だるい格好ではなく、正装のしのび装束を纏っていた。
本気ということなのだろう。
無表情だった。







「ちなみに手、抜いたら殺しますよ」
「……抜かなくても殺すのでしょう」
「流石は我弟子。よくわかってるじゃないですか。俺は鼻が高いです」
「わたしには、この行為の必然性が見えませんが」
「仲間同士で殺しあうことなんて、損害にしかならないと思ってますね……いいですよ。そのうち、わかります」





立会人は――真庭忍軍の頭領達。
その彼らに向かって、軽く手を振る蟷螂。




「それじゃ、合図よろしく願います」




前傾を姿勢をとった。
それから高らかに「初めっ」という声が聞こえた。










* * *












「くははは……あんたの勝ちです」




腹を刺されたとも思えないような通る声で、蟷螂は言った。
言葉と裏腹に、顔は少しも笑っていない。







「ほれ」








頭につけていた額あてを無造作に取ると、少年の頭にのせる。


「おめでとうございます。あんたは晴れて、真庭蟷螂です」
「……………」
「勝ったんですから、手紙に書いてあること、実行してくださいよ」






そこまで行って、さっきまでの元気は何処に行ったのか、彼は目を閉じた。最後まで、無表情で。




落命したのだ。

気付くのにさほど時間は掛からなかった。






手紙に書いてあった事。自分の墓参りには何を持参しろだのなんだのと、書かれていた最後に。






『俺が死んだら、その場で泣いてください』







そして、少年は。







「ふ」






初めて――師からの命令を、無視した。
最後の命令を、破った。









泣いてはいけないのだ。
多分、泣くという事は――自分を救うことなのだろう。
自分を許すということなのだろう。




男は――自分を許せと、自分に言いたかったのだろう。






ならば、わたしはわたしを許すまい。

心の底で、そう呟く。









「おめでと、蟷螂」
「……ありがとう、ございます」
「あんたも辛かったんじゃない――こいつ、言い出したら聞かないから」







どくんどくんどくんどくん。











「辛くなど、ない」













気持ち悪くなるぐらい鼓動が高鳴っていて、それでも少年は言い切った。

029 心 臓 が 泣 い て い る