阿良々木暦と戦場ヶ原ひたぎ。






今日の日付は2/14。言うまでも無く、聖バレンタインデーだ。この行事をさして御菓子会社の陰謀だとか、そういった無粋で使い古された例えはやめておくとする。別に言ったって構わないとは思うけど、今そんな事を口にすれば、今日命日の人間が、バレンタインさん以外にもう一人加わるだろう。



「まあ、僕なんだけどな……」
「どうしたの、クズ……いえ、社会のクズ」
「何でより説明を明確にした!?」
「相変わらず単調なツッコミね」
「複雑怪奇なツッコミがお好みなのか!?」
「そんな事言ってないじゃない。今日一日格差社会の現状をありありと見せ付けられてイラついてるからって、クズは比べられようと比べられまいとクズに違いないんだから気にしないほうがいいわ。比較対象がチリでもクズだし、ツルと比べたってクズはクズ。阿良々木君は誰と比べたって阿良々木君なんだから」
「慰めるまでにお前が六回もクズと発言したことには何か言いたい事がないでもないが、まあ格差社会を見せ付けられてるのは事実だからな……」



そういえば小学校の時、貰わない人がいないようにとチョコレートを全員に配っている女の子がいたな……とりあえず受け取ったけど、あの手の人情チョコは義理チョコよりも苦かったなあ……


と、まあ現実逃避も記憶浪費もそこそこに。



「チョコレートをあげさせませんか」
「戦場ヶ原、努力は認めるが実ってないぞ」
「チョコレート……チョコレートを……渡します?」
「宣言しなくてもいいと思うけど」



戦場ヶ原おもむろに、まるで「よくもっ」と叫びながらナイフを取り出しこちらに飛び掛ってきそうなぐらいの迫力で、こういうと失礼だが可愛げのない白い箱を取り出した。ちなみに紙製。
それでもやっぱり、彼女からのチョコレートというのはドキドキするもので、只管に続きの行動を待つ、と。
戦場ヶ原は渡す前に箱の蓋をあけ、中からチョコレートを一粒取り出した。


あれ?



「そんなお預け喰らったカピバラみたいな顔しないでちょうだい、阿良々木君」
「お預け喰らったカピバラなんて見たことねえよ!」
「私はしたことあるわよ。一ヶ月間お預けしてたカピバラはそんな顔をしていたわ」
「それ要するに死体だろう! 僕は既に死んでいるのか!? ていうかカピバラさんに謝れ!」
「チョコレートなら、あげるわよ」



宣言するように言って、戦場ヶ原は方向を転換する。
言葉もなく見守る僕の事など眼中にないように、そばにあった教卓に上った。
ほんの数ヶ月前までは深窓の令嬢とまで仇名された美少女が、教卓の上で仁王立ちする姿がそこにはあった。



「下着の中を見ようとしないでちょうだい、阿良々木君」
「僕は霊能力者なのか! それともお前の下着が透けてるのかどっちだ戦場ヶ原!」
「透けてるかしら」
「透けてない!」
「……下着の中は無理でもスカートの中は見てたわけね」



あれ?
視線が痛いな……どうしてだろう、バレンタインにこんな思いをする覚えはないぞ。



そんな僕を頭のてっぺんから爪先まで、一通り見下してから、戦場ヶ原はチョコレートを掲げた。
そして、


「今からこれを投げるので、口でキャッチしなさい」



とんでもない事を言った。




「ま、待て戦場ヶ原」
「ちなみにこのチョコレートは、私がチョコレートを溶かすと聞いてお湯をそのまま注ぎ込んだり、うっかりチョコレートを焦がしたりという失敗や試行錯誤の末に生み出された、失敗作よ」
「失敗作なのかよ! 成功したのくれよ!」
「神原にあげちゃったわ」
「畜生あの後輩、僕よりいい目見やがって!」
「まあ、それは冗談として――そんな私が頑張って作ったチョコレートよ」



それは落すなと言う事か。
口で受け止めろと言う事か。
え、僕、試されてる?


確かに近くは近くだし、それこそ戦場ヶ原が僕の口を狙って投げてくれる限りは大丈夫そうだが。
いや、流石に変な方向に投げたりはしない、だろうな……? 



………………。




しないといいなあ。





「……よし、来い戦場ヶ原」
「行くわよ」




身構える。戦場ヶ原の腕の動きに全神経を集中させる。大丈夫、僕には出来損ないでも吸血鬼の血が流れている。見切れるはず――と。





戦場ヶ原が、動いた。






「っああああああっ!?」







それは僕達が始めて話したときと、同じようなシュチュエーション。
戦場ヶ原は教卓からまっすぐに、飛びつくように飛び降りて――僕はそれを、受け止めた。




「っぐ……!」




決して重たいほうではない、彼女の体重がずしりと来る。

重みがある。


今の戦場ヶ原には――重みが、ある。





戦場ヶ原はいつもの通りのおすまし顔で、僕の上に馬乗りになり。



「はい」





と言いながら、僕の口にチョコレートを押し込んだ。
キャッチ成功。





「おいしいかしら?」
「おいしいよ」





それはお世辞でもなんでもなく。
どうやら試行錯誤を重ねた内の失敗作――では、なかったらしい。





「ちっ」
「舌打ち!? ちょっと待ってひたぎさん、何が出たら僕にどういう症状が起こる予定だったんですか!」
「ロシアンルーレットの起源は、西部のガンマン達にまで遡ります」
「何か意図があるとしか思えないその薀蓄は一体!?」




「よかったわ」





戦場ヶ原は相変わらずの、無表情。
口内のチョコレートの味は、中々消えなかった。





* * *








後日談というか、本日のオチ。
次の日あった神原後輩は、あらん限りの笑顔で、僕に戦場ヶ原から貰ったというチョコレートを見せびらかしてきた。
豪奢で愛らしいラッピング、明らかにこれが来たら本命だと思うだろう高級チョコレート。
僕の微妙な反応を見て何を勘違いしやがったのか神原は「……すまない、阿良々木先輩。チョコレートは女の子達の気持ちだから、わけるわけには……」と謝罪してきた。学校の元スターは、未だに格差社会の頂点に君臨しているらしい。




「別にいいよ。戦場ヶ原から貰ったしな」
「……本当に?」
「疑うなあ、お前も。何でバレンタインに後輩の方が彼氏よりいい思いしてんだよ」
「そうか、すまなかった阿良々木先輩。いや、戦場ヶ原先輩から貰ったチョコレートを見る阿良々木先輩の瞳が余りにも生ぬるかったもので、いらぬ心配を。お詫びと言っては何だが、」
「いやいいよ。お前のお詫びろくなもんじゃないんだもん」
「む。私程度の体では満足できないということか。流石阿良々木先輩、理想が高い」
「やっぱりろくなもんじゃなかった上に、何か勘違いしてやがるぞこの後輩!」
「では阿良々木先輩。差し出がましいお願いのようだが、戦場ヶ原先輩のチョコレートを見せて欲しい」
「え? い、いやもう食べちゃったしさ」
「では袋だ。ラッピングだ。戦場ヶ原先輩がどんな装飾を阿良々木先輩に贈ったのか、私はとても興味がある」
「………………」
「阿良々木先輩?」
「………………」
「らぎ子ちゃーん」
「……らぎ子ちゃんって呼ぶな」





阿良々木暦、勝負に勝って試合に負けた、高三のバレンタインデー。