「ひと……きし、くん――」
「人識な。お前絶対名前覚える気ねえだろ」
「ひとししくん?」
「……もういいや」


諦めたように溜息をつくと、少女は何が楽しかったのか、「ゆらぁり」と言って笑った。


「で、何が言いたかったんだ?」
「あれ――」
「あれ?」



その細い指の先には、徐々に赤く染まっている水面が見えた。



「ああ……海、か」
「行きま……せん、か……ぁ?」
「別にいいぜ。お前海好きなのか?」
「すき、って……ゆら……わかん、ない」
「そうかよ」




そういいながら、二人は連れ添って海辺へと向かう。
踏み込むたびに沈む砂浜を、難なく歩いた。




「うみ、ですね……ぇ……ゆらり」




そして迷いなく、少女は波の中に足を入れる。
靴ごと、足がぐっしょりと濡れているが気にする風もない。
止めても無駄な事を知っているのか、少年はそれを見守るだけだ。




「気持ち……悪、い」
「だろうな……」
「ゆら」




しかもそれだけでは飽き足らず、少女は呟いた擬音通りゆらりと倒れた。




「おい」




当然そこは海であり、倒れた先には水がある。
水しぶきが上がって、その飛沫が少年の頬に当たった。





「……おい?」





返事がない。
少し慌てて少年は少女にかけより、その沈みかけている肢体をこちらに引き戻した。





「……っ……はぁ」
「玉藻」





少女は一通り、げほげほと海水を吐いてから呟いた。





「息するの…………忘れて、た」
「お前そんなに不思議ちゃんを定着させたいのかよ」





自身も水浸しになってしまった少年は、悪態をつくようにそう言う。
少女は、てれたように笑った。





「えへ……ひときし君も、水びた……し」
「誰の所為だ誰の」
「海のせい……かな」



少年は呆れたように笑うと、少女の手を引く。




「出るぞ」
「もう……ですかぁ?」
「夜になったら冷えるだろうが。そんなに好きなら今度昼に連れてきてやるよ」
「ん……ゆらぁり」




再び倒れかける少女を、今度は受け止める少年。




「……お前さ、いや……なんでもない」
「ちゃんと、ひとしきくん……います、ね」
「ああ? そりゃ、いるけど」




「うれしい、です……ねぇ」




そう言って少女は、頬を染めた。










きみはうたかた、ぼくはたまゆら
(かすかで僅かなこの矮躯を、確かめるよう抱きしめた)