世界で一番小さなワルツ

若き音楽家は口笛を吹いていた。

それは彼が常日頃、戦闘時に奏でている物とは違い、単に音を楽しむ為だけに鳴らされているようである。
口笛と言えどもそこは零崎曲識、普通の笛でも吹いているかのような音程の移り変わりに眩暈がしそうだった。

音が充満する部屋に耐え切れず、軋識は窓辺に寄って窓を開く。
風が僅かに侵入し全身を舐め、せき止められて軋識に纏わりついていた音は外へと。


「軋識さん」

音が消えたと思えば、今度は年相応に高い声が聞こえてくる。


「僕の音は、嫌いなのか」


少しだけ拗ねたようにも聞こえる声だった。
溜息をついて、否定する。

「そういうわけじゃねえよ」
「別に、僕は軋識さんを操ったりするつもりはない」
「そういう心配してるわけでもない」
「だが、軋識さんは僕が音を鳴らしていると、大抵逃げようとする」
「そうか?」

そうだ、と曲識は肯定する。
自覚は無かったが、そうかもしれない、と何となく納得した。
その表情の動きを敏感に感じ取ったのだろう、朴訥としているようで感受性の強い少年は少しだけ眉を顰めた。

「僕は、音楽で人を不愉快にさせるつもりはない。少なくとも、軋識さんに送る物についてはそうだ」
「不愉快じゃねえって言ってるだろ。ただ、」


怖いんだろうな、と言う軋識。

「怖い? 軋識さんに怖い物なんてあったのか。死に方すらわからない軋識さんに」
「そりゃあ何だか皮肉な言い方だな……きひひ」

少しだけ照れたように笑ってから、言う。



「お前の音楽は、怖い」



眉根に更に皺が寄った。
意図不明という意味なのか、不愉快に思っているのか、わからない。
両方かもしれなかった。

「怖い――それは、操られそうでという意味か? 前にも言ったが、僕には軋識さんを操る気は」
「そうじゃねえよ」

惹きこまれそうだ、と言うと音楽家は首を傾げる。
しかしその意図が彼の音への賛美だという事には気がついたのだろう、機嫌は直ったようだった。


「なら――僕は歌っていい、のか」
「いいに決まってるだろうが。零崎曲識から歌取ってどうするんだ?」



窓の傍から離れ、少年の隣に身を沈める。
緩く結ばれた黒髪が近くに見えた。
髪留めが、段々と取れかかっているようである。

「……軋識さん?」
「取れかかってるぞ」

そっと触れて、髪を結びなおす。
曲識はこそばゆそうに目を細め、それから口笛を吹いた。

ウェーブがかった髪が、こちらの指に合わせて踊る。
それはとても小さな世界での、幸せのうた。