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昔昔の事でした。
或る所に、一人の天狗が居ました。
鼻が高い訳でも無く、顔が赤い訳でも無く、空が飛べる訳でも無かったけれど、彼は天狗でした。
非力で脆弱で、優しい天狗でした。
非力で脆弱で、優しかったけれど――天狗でした。

天狗と云われるのが嫌いだった彼は、蝙蝠と名乗っていました。
本当は山の神だと云うのに、唯の獣の名前を名乗っていました。



「蝙蝠」
「……川獺?」



名前を呼ばれて瞳を上げると、其処には川の神様がいました。
彼もまた川に居て、川を守っている者でしたので、こうして出会うのは久方ぶりの事でした。



「きゃはきゃは、お前こんなとこ来てて良いのかよ。鳳凰に怒られても知らねえぞ」
「いいじゃねえか偶にはよ……今日は面白い物見たから、連れに来たんだよ」
「面白い物?」



蝙蝠が反復すると、川獺は頷きました。
頷いて、蝙蝠の腕を取りました。



「付いて来いよ」
「……山、如何すんだよ」
「少しだけなら大丈夫だろ」



そうして、二人は山を下りて、人里へと向かいます。
自然の消えかけている、多くの神々が既に死に絶えた――人の地へと。



「………………」
「な。面白いだろ」



其処には、橙色の光が満ち溢れて居ました。
夜だというのに――其処には光が在りました。
そして、人が居ました。




蝙蝠は其処で始めて、自分は世界で一人では無いのだと、知りました。



何やら楽しそうな笑い声に、聞いた事も無い明るい音楽。
妙な、派手派手しい格好をしている人々。
騒々しく、禍々しい筈の宴は、如何し様も無く楽しそうでした。



「ハロヰンっつーんだって」




川獺は其処まで云うと、振り返りました。
明るい人間の集団から目を離し、自分達の限りある場所へ帰ろうとしました。
しかし蝙蝠は中々来ません。




「蝙蝠?」





振り向いた川獺は、





「蝙蝠!?」






蝙蝠が居なくなっている事に、漸く気が付きました







* * *









全力疾走した物の、息が切れることはありませんでした。
非力ではある者の、矢張り彼は人では無かったのです。
其れが少しばかり悔しく、彼は小さく溜息を吐きました。




「……どうかしたのか?」
「大丈夫ですか」




びくりと身体を震わせて、声のする方を蝙蝠は見つめました。
其処には、二人の人間が居ます。



「い、や」
「顔色が優れぬようだが」
「どうしたんだ?」
「あ、蝶々さん。人が――」




人が。
彼は自分を指して人と云ったのかと、蝙蝠は怪訝に思いました。
昔は人間に紛れる事など簡単でしたが、昨今ではそうも行かなく為っていたのです。
蝙蝠の格好は、昔から一度も変わりません。


彼ら人間は、変り続けて居ました。
変り続けて、しまっていました。



如何して妙に思わないのだろう。
しかし、口に出す事など出来ませんでした。





「具合が、悪そうで」
「! ……嗚呼、確かに酷い顔色だな。祭りだってはしゃぎ過ぎたか?」



後からやって来た小柄な人間は、背伸びをする様にして、蝙蝠の額に触れました。



「何処かで休むか」
「――良いんだ。元から何だよ、この顔色はさ」



嘘でした。
元から等では無いのです。
山が切り崩され始めた時から、でした。
きっと山が消えた時に、この分では消えてしまうのだろうと――思いました。





「そうですか。済みません、余計な世話を」
「否……有難う」





其の言葉は、本音でした。
丁度三人の真ん中辺りの背の人間は、緩やかに笑うと尋ねます。





「ぬしは此の辺りの者では無いな?」
「ん――」




此の辺り処か、此処其の物なのだけれど。
云っても詮の無い事なので、黙っていました。




「噂聞いてやって来たのか?」
「大きく宣伝してましたからねえ――否定姫様」
「ひてい……?」





首を傾げると、小柄な人間が説明してくれました。





「否定姫。何でもかんでも否定しまくる女が居てさ、その仇名だよ。如何やら米国か何処かに居た事が有るらしくって、これは其処であってた祭何だと」
「皆さん、楽しそうですよねえ」
「蜜蜂、ぬしも仮装とやらをすれば良かっただろう」
「え! ……いいですよ僕は……」
「遠慮するよなあ。喰鮫どのも狂犬どのも楽しそうにしてたぜ」
「うう……お二人は似合ってるじゃないですか」




背の高い、恐らくは一番年下だろう人間は、蝙蝠に向かい微笑みます。





「あ。貴方も、良くお似合いですよ」
「あ――」








そこで、漸く。