-1- 昔昔の事でした。 或る所に、一人の天狗が居ました。 鼻が高い訳でも無く、顔が赤い訳でも無く、空が飛べる訳でも無かったけれど、彼は天狗でした。 非力で脆弱で、優しい天狗でした。 非力で脆弱で、優しかったけれど――天狗でした。 天狗と云われるのが嫌いだった彼は、蝙蝠と名乗っていました。 本当は山の神だと云うのに、唯の獣の名前を名乗っていました。 「蝙蝠」 「……川獺?」 名前を呼ばれて瞳を上げると、其処には川の神様がいました。 彼もまた川に居て、川を守っている者でしたので、こうして出会うのは久方ぶりの事でした。 「きゃはきゃは、お前こんなとこ来てて良いのかよ。鳳凰に怒られても知らねえぞ」 「いいじゃねえか偶にはよ……今日は面白い物見たから、連れに来たんだよ」 「面白い物?」 蝙蝠が反復すると、川獺は頷きました。 頷いて、蝙蝠の腕を取りました。 「付いて来いよ」 「……山、如何すんだよ」 「少しだけなら大丈夫だろ」 そうして、二人は山を下りて、人里へと向かいます。 自然の消えかけている、多くの神々が既に死に絶えた――人の地へと。 「………………」 「な。面白いだろ」 其処には、橙色の光が満ち溢れて居ました。 夜だというのに――其処には光が在りました。 そして、人が居ました。 蝙蝠は其処で始めて、自分は世界で一人では無いのだと、知りました。 何やら楽しそうな笑い声に、聞いた事も無い明るい音楽。 妙な、派手派手しい格好をしている人々。 騒々しく、禍々しい筈の宴は、如何し様も無く楽しそうでした。 「ハロヰンっつーんだって」 川獺は其処まで云うと、振り返りました。 明るい人間の集団から目を離し、自分達の限りある場所へ帰ろうとしました。 しかし蝙蝠は中々来ません。 「蝙蝠?」 振り向いた川獺は、 「蝙蝠!?」 蝙蝠が居なくなっている事に、漸く気が付きました
全力疾走した物の、息が切れることはありませんでした。 非力ではある者の、矢張り彼は人では無かったのです。 其れが少しばかり悔しく、彼は小さく溜息を吐きました。 「……どうかしたのか?」 「大丈夫ですか」 びくりと身体を震わせて、声のする方を蝙蝠は見つめました。 其処には、二人の人間が居ます。 「い、や」 「顔色が優れぬようだが」 「どうしたんだ?」 「あ、蝶々さん。人が――」 人が。 彼は自分を指して人と云ったのかと、蝙蝠は怪訝に思いました。 昔は人間に紛れる事など簡単でしたが、昨今ではそうも行かなく為っていたのです。 蝙蝠の格好は、昔から一度も変わりません。 彼ら人間は、変り続けて居ました。 変り続けて、しまっていました。 如何して妙に思わないのだろう。 しかし、口に出す事など出来ませんでした。 「具合が、悪そうで」 「! ……嗚呼、確かに酷い顔色だな。祭りだってはしゃぎ過ぎたか?」 後からやって来た小柄な人間は、背伸びをする様にして、蝙蝠の額に触れました。 「何処かで休むか」 「――良いんだ。元から何だよ、この顔色はさ」 嘘でした。 元から等では無いのです。 山が切り崩され始めた時から、でした。 きっと山が消えた時に、この分では消えてしまうのだろうと――思いました。 「そうですか。済みません、余計な世話を」 「否……有難う」 其の言葉は、本音でした。 丁度三人の真ん中辺りの背の人間は、緩やかに笑うと尋ねます。 「ぬしは此の辺りの者では無いな?」 「ん――」 此の辺り処か、此処其の物なのだけれど。 云っても詮の無い事なので、黙っていました。 「噂聞いてやって来たのか?」 「大きく宣伝してましたからねえ――否定姫様」 「ひてい……?」 首を傾げると、小柄な人間が説明してくれました。 「否定姫。何でもかんでも否定しまくる女が居てさ、その仇名だよ。如何やら米国か何処かに居た事が有るらしくって、これは其処であってた祭何だと」 「皆さん、楽しそうですよねえ」 「蜜蜂、ぬしも仮装とやらをすれば良かっただろう」 「え! ……いいですよ僕は……」 「遠慮するよなあ。喰鮫どのも狂犬どのも楽しそうにしてたぜ」 「うう……お二人は似合ってるじゃないですか」 背の高い、恐らくは一番年下だろう人間は、蝙蝠に向かい微笑みます。 「あ。貴方も、良くお似合いですよ」 「あ――」 そこで、漸く。 |