1.



「蝶々? 何処行くんで?」
「ん――ちょっと」




その日その時その瞬間、真庭蝶々がその場所に行ったのは、ある意味で偶然だった。
ある襤褸い一件の家を見つけ、戸をくぐって屋内に入る。






入った瞬間、喉元に刀を当てられ静止した。








「ご挨拶やな」
「……誰だよ、あんた」







小柄な少年である。



もう幾日も何も食べていないかのように身体はやせており、ただただ眼光だけが鋭い。
その身体には不釣合いな大刀を、それでも揺るがせずに蝶々の喉に突きつけている。
刃は前回使われてから手入れもされていないのだろう、血が固まり、刃こぼれをおこし始めていた。

真庭蝶々はこの程度の刀ならば素手で掴んでも平気な自信があったけれど、特に体勢を変えようとはしない。
表情も、いつもどおり純粋そうな微笑を浮かべたままだった。




「いや、誰でもいいのか。出てけよ」
「いやだ言うたらどうする?」





蝶々が巫山戯たように言った刹那。









「…………あんた、すごいな」









正直な感嘆の声を漏らし、少年は目を丸くした。その時は生々しい眼光が消え、酷く歳相応な表情になる。
ただ、その時の構図と言えば。







「面白いなあ、自分」






蝶々の首を斬りつけるべく、足に力を込め素早く動かされた刀。
それを表情も変えずと素手で受け止める、真庭蝶々。
物騒にも程がある構図だった。






「警告一回って少なくない」
「二回も三回もして警戒されたらどうすんだよ。おれはそんなに強くねえ」
「うわあ開き直り」
「利用できるもんはするべきだろ」





そこまで言うと少年は、何気なく刀を落とす。
鈍い音が足元からした。






「あれ。戦闘放棄かい」
「あんたは強い。大人しくするから見逃せ」
「うわあ」


身体を丸めて笑うと、真庭蝶々は少年の頭に軽く手を置いた。



「見逃す、思てる?」
「思ってねえから命乞い。命だけは助けてくれ」
「うーん。そうやねえ」












顎に手をあて、悩むような仕草をしたところで。
少年は後ろ手に隠してあった、よく研がれた包丁を――男の体につきたてようと、










「っぶないな」











後ろから、声がする。
右手首に鈍痛があって、包丁を取り落とす。
少年は忌々しげに、それでも何処か諦観の体で呟いた。




「ち。あんた強すぎるだろ」
「くっ……ははっ!」








蝶々は、心の底から楽しそうに笑った。










「嘘吐き! 卑怯! 卑劣すぎる!」
「うるさい」












「気に入った」















そう言うと、少年は気色の悪い浮遊感を感じた。





「おいっ!」
「僕は勝者君は敗者。何か文句は?」
「あるっ俺は負けてねえしお前は勝ってない!」
「僕のが強いのは分かったやん?」
「でも俺は死んでねえ」





「生が勝者の証だとも限らんし、死が敗者の許しだとも思わん」











少年を抱え挙げたまま、蝶々は言う。
その断言に、少しだけ怯んでから――言葉を吐き捨てる少年。





「わけわかんねえ」
「いい。僕が教える」
「いい。結構。いらねえ」











「三食楽しい修行つき。何か文句は?」



「……は?」









理解不能を表す言葉をものともせず、真庭蝶々は続けた。






「おっと。遅れたわ。僕の名前は真庭蝶々。真庭忍軍十二頭領が一人、一応。職業は忍者、ついでに拳士」
「忍者? 剣士……?」
「あっと。刀の方やないで。拳の方。拳法家、言うたほうがいいんかな」





そこまですらすらと続けると、蝶々は突然話題を変えた。









「君、空の色は何色や?」
「は? ……青だろ、それ「ハズレ」






二人は、部屋の外に出る。
時は夕刻。逢魔が刻。既に日は沈みかかっている。








「赤でした」
「せこい」
「せこくないわ。空は青いなんて信じとる君が悪い――空は、青い赤いし黒いし白い。灰色も紫もある」
「それが」


どうしたんだ、と少年が心底嫌そうに言う前に。








「そういう事、僕が全部君に教える」










「……は?」
「僕の元においでや。三食楽しい修行つき」







少年は少し迷うような――戸惑うような表情をしてから。







「多分、嫌だっつっても連れてくんだろ?」
「当然。それが強者の権限やもん」










溜息をついて、それを返事に替えた。