「ありがとっ」


何だか痩せこけて襤褸を纏った少女はそんな風に自分に話しかけてきた。
人間ではありえないほどに爪を伸ばし、尚且つその爪から血を滴らせているような男に。
恐れもせず竦みもせず真直ぐに嬉しそうなのを隠しもせず。
少女は笑う。決して裕福には見えない暮らしをしているのだろう少女は、里の誰かに似ている気がした。




「あいつ、殺してくれてありがとね」



死んでありがとう、といわれる存在だったらしい先刻の男。どうやら所謂悪人なようだ。
ころしてくれてありがとう、などと幼児性から垣間見える残虐性に少しだけ苦笑したくなった。
同時に目の前の少女が哀れになって、自分が汚くて吐き気がする。


少女はこれから女になって、じきに母になるのだろう。その際こどもらに、昔自分を助けてくれた男として自分の姿を語るのだろうか。それが正に怖気の走る原因だった。
例え善人だろうと悪人だろうと、殺すのが自分達しのびなのだ。金のために誰でも殺す、一番の悪は自分だというのはとっくに自覚しきっている。最早迷いもないし罪悪感もない。葛藤さえもなくなった。修行はまだまだ積まねばならぬはいえ、自分にしのびとしての未熟さは残ってなどいない。
ただ――残っているのは、罪悪感のないことに対する、不快感だけで。
久しぶりに妙なものを思いだせてくれた。そう思って少女の方に向きを変える。


殺さなければならない。
これぐらい、などという油断も予断も禁物だ。


少女は近づいてくる自分に対し、最後まで少しも疑念や恐怖、そういった負の感情を持たなかった。
瞳に映るのは、ただ単純な喜び幸せ、憧れのような色味。


「えへ」


爪を戻した。殺すべきだと頭のどこかで叫んでいるのが聞こえたが、聞こえただけでは影響力を及ぼせない。
代わりに頭を撫でてみる。暖かかった。


「わたしの事は、誰にも言わないでくれ」


同じく影響力を及ぼせないだろう言葉を、無駄な約束をする。少女は少し首を傾げてから、大きく頷いた。
確認してからその場を立ち去る。最後まで手を振っていた少女の笑顔が、しばらく頭から離れなかった。






(あの少女は何を夢見て、自分に何を思ったのだろうか)