泣きたかった君へ

配付元


01 想いだけが置いてけぼり(人、双)


叩いた。叩かれた。
俺とこいつの役割は、驚くぐらいに明快だった。


頬が痛い。いつもいつも食らわされているドメスティックなバイオレンスに比べれば、いくらかマシである筈の痛みが痛い。あれ、痛いから痛みって言うんだっけか。

しかしに何より驚いたことに、叩いたこいつの方が叩かれた俺より痛そうな顔をしている。そんなのはずるい。叩いた癖にそんな顔するなんて、ずるい。


「かはは」


その上謝られたりしたらずるすぎるから、先手を打って笑ってみた。
謝るぐらいならもっと殴れよ、痛そうな顔するなら怒ってみろ。


「ごめん」


俺の努力なんて完無視。ああ、いつだってこいつは俺の意思を尊重してくれない。
嫌いだ、こんな奴。すぐにでも殺したって何の後悔も、


「ごめん、人識」


あいつの眼鏡に写った俺の顔が泣きそうなのに気がついて、それが不思議と不思議だった。





02 不機嫌なロミオ(川蝙)


「蝙、蝠」
「何だよ」
「何でお前蝙蝠なんだろうな」


かちん、と頭の中で音がした。
無視するように笑ってみる。


「きゃはきゃは、何だそれ。遂にボケたのかよ川獺! おれさまが蝙蝠襲名したからに決まってんじゃん」
「はっ。そうだけど」


だったら何が不満なんだ。
おれがおれじゃ不味いのかよ。
おれじゃない誰かに、居て欲しいとでも?


苛立つ。


「川獺? どうしたんだよ」


そんなにおれじゃ駄目なのか、と聞きかけて止める。
真面目な顔をした親友は、それを肯定してしまいそうだったのだ。
その後恋の相談でも持ちかけられそうな。

ああ、むかつく。

本当、早く気付けばいいのに。





03 些細な幸せが何よりの願いでした(川蝙)



「蝙蝠」
「何だよ」
「何でお前、蝙蝠なんだろうな」


呟いてみると、目の前の男は甲高く笑った。


「きゃはきゃは、何だそれ。遂にボケたのかよ川獺! おれさまが蝙蝠襲名したからに決まってんじゃん」
「はっ。そうだけど」


こいつが真庭蝙蝠でなければ。
真庭の十二頭領でなければ。
それ以前に、おれの親友なんかじゃなければ。


「……川獺? どうしたんだよ」


この思いを伝えるのも、とても簡単だった筈なのに、





04 野良猫の散歩道(白蝙)



「げ」
「あ」

「蝠蝙」
「白鷺」

「よだんるいにここが前おで何」
「偶々。つーかここおれの里だし。おれが居ても不思議じゃねえじゃん」
「議思不ジマ。かとさ悪の運の俺に主」
「ひっど。きゃはきゃは」
「よだ何分気なか静。い煩前お」
「おれは散歩中なんだよ。お前の勝手な気分に付き合わせようとすんな」
「よだ道歩散はここてっだ俺」
「げ。変えろよ。せめて時間ずらせよ」
「よだや。せらずが前お」


あいつの言うとおりになるのは嫌だ。
散歩の道筋も時間も変えない、毎度毎度落ち合って二人で歩く口実は、それで十分だった。





05 眩しいばかりの純粋を何処で君は捨てた(喰蜜)



「おや。蜜蜂、任務は終わったのですか?」
「あ、はい。喰鮫さんは今からですか?」
「ええ。お疲れ様ですね」
「ああ、ありがとうございます」


随分と成長したものだ。客観的にそう思うけれど、何故だか彼は自分の中で、いまだ少年のままだった。


「変わるというのも、大変ですがね」


あの日泣いていた、少年のまま。


「変わらないというのも、また大変なのですよ」


少年だった青年は、少しだけ首を傾げた。


「どっちにしろ、大変なんですね」
「ええ。人生ですから」


最初から汚れていた自身と違い、きっと彼に一歩を踏み出させたのは自分だ。
血に塗れても高潔であれと他人に願うのは、酷く傲慢だと自覚している。


彼は変わったのか。変わらなかったのか。
彼は変われたのか。変われなかったのか。
彼は変わってしまったのか、どうなのか。



わからないけれど私の中の彼は、今もあの日の丘で泣き続けており、



「それでは、わたしは任務に行きます」
「頑張ってください」


変わり行く彼を見る嫌悪は自己嫌悪の投影、歓喜は自愛の象徴。


そんなのはとっくに気がついていた、だから足は彼から離れる。





06 胸の中でサクラよ咲き誇れ(軋双)



無理矢理花見に連れて行かれたことがある。
花も団子も面倒くさくて、とかくあいつの事ばかり見ていた記憶がある。
咲き誇る花々を綺麗だと思える神経が少しだけ羨ましくて、

とても愛しかったのを覚えている。


「あー」


電気もつけない暗い部屋。
蹲るように座り込む。
疲れた。疲れた。疲れた――


楽しい記憶を思い出そう。
後で後悔しても、そんな事は知らない。先の事なんてわからない。
たった今、今だけでいいから、救え。

ぞんざいな気持ちで適当に考えてみると、一番に浮かんだのは桃色だった。
あいつが美しいといった、桃色だった。






07 泣きたかった君に(蜜蟷)


切望する事など考えず、絶望する事もできず。
それでも何故か真直ぐに立つ彼は、どうにも妙な存在だった。


頼りになる。凄いと思う。正直、憧れる。


彼の風評などそんなものばかりだったし、自分だってそう思う。
彼が皆を好きなように、皆、彼が好きだろう。
今更付け加える必要すら感じないけれど、当然自分もだった。


しかしその真直ぐに立つ姿勢にだけは、疑問を抱かずには居られない。
何かを訴えているようでもあるし、何かを伝えまいとしているようでもあった。


以前それを彼に問うたことがある。
彼は珍しく表情を崩し、儚げな表情を浮かべた。


「大人になれば、教えてやろう」


そうして、とりあえず僕の第一目標が決まった。







08 笑っていればきっと優しくなれる(人舞)



「人識君、手冷たいんですね」


軽く触れた手は死体のように冷たかった。
恐くなって隣を見れば、いつもどおり笑った彼が居る。


「心が優しいんですねー」
「んなわけあるか」

そう言って彼は私の手を振り払った。

「人の体温どんどん強奪していくような奴が、優しいわけねえだろうが」


笑ったままである。


「戯言、ですか?」
「んにゃ、傑作の方」
「戯言だと思いますけどね」


もう一度彼の手を握った。
今度はきちんと、指まで絡ませる。



「お前、さ」



手を繋ぐ素敵な理由を作ってくれる、優しい手の持ち主は、やっぱり笑っていた。






09 愛が憎しみに変わる前に静かに眠れ(兎双)



きっと俺は愛した物は、全て壊してしまうのだ。
永遠に報われない喜劇を永遠に続け続けるのが、破壊屋としての俺の業。
彼女ぐらい怖くて恐くて強い存在ならば、大丈夫なのだけれど。


そこまで到達するのには少し、彼は優しすぎるようだった。



「俺はさ、双識君」
「なんです?」
「君の事、愛してないよ?」


わかってますよ、と少し拗ねた声が聞こえた。





10 また、好きになりました(軋潤)



「てめえなんか大っ嫌いだ」

笑顔でそう言うと、蹴りを入れて逃げられた。
鳩尾に入ったのが存外痛かった。
衝撃を殺しきれない、仕方なく傍にあった待ち合わせ用噴水のふちに腰掛ける。
それでもまだ痛かったので、背をかがめて痛みが通り過ぎるのを待つ。

顔をあげると、通りがかりの餓鬼に哀れそうな目で見られた。
よくわからない。おい、何だその目。なんかまるで女に振られた奴見るような――

殺してやろうかと思ったら殺気が目に篭ったのか、逃げ出された。
恐らく勘違いして去っている。違う。断じて違う。俺とあいつはそんなんじゃない。
俺は餓鬼が嫌いで女が嫌いだ。唯一例外は彼女だけ、

「……ち」

なのに何故だか痛みが治まったにも関わらず、俺の足は役立たずのままだった。
そして、胸に入れていた携帯が静かに存在を主張させる。
相手の名前は見ずに、通話ボタンを押した。


「……もしも、」


し、といい終わる前に、鼓膜が破れるぐらいの声が聞こえる。


「なんだ、お前。俺の事は嫌いなんじゃ、」


ああ何だその質問。まるで嫌われたのが嫌だったみたいだ。
別に構いやしないだろうに、面倒の種が一つ減るのに。


そう思いながら立ち上がる、電話の向こうの誰かを探しに。
その誰かが機械越しに、随分可愛い台詞を吐いた。