胸に十字架君に接吻3.

「んん? ん、んー」

何故に。如何して。何でだ。
吸えども吸えども喉が渇くし腹が減る。
これは本気で困ったことになり、こんな時にしか頼れない唯一の家族に聞いてみると。

いっちょ前に好きな子でも出来たのか、とにやにやされた。

何だそれ。ちゃんと質問に答えろ、頭だけじゃなく耳も悪くなったのか馬鹿兄貴。
言ったなこの愚弟。まあいい、私が言った事で全てだよ。目の前に最高のご馳走があって、それなのにお前は適当な残飯で間に合わせようとする。だから枯渇する。だから飢餓する。だから、
もういい。で、どうすりゃいいんだ。
そうだね、まあ――与えるか奪うかって所じゃあ、ないのかな。


それしかないのかよ、と俺は言う。
だって吸血鬼だぜ、と家族は言った。




「目、閉じねえのな、お前」
「閉じる必要あるのか? キスでもする気かい」

そんなキャラでもあるまいに、目の前の男は飄々と嘯いた。
組み敷かれているこの状況下、確かに色い想像も可能なのだろう、が。

そもそもロマンスなど扼殺してしまいそうな男ではあるし。
大体自分が鬼な時点で、ロマンスは成立しがたい。



「殺される時は、素直に瞳を閉じるべきだろ」



に、と笑って血のこびり付いた牙を晒す。
「中々ロマンチストなんだな」と余裕をかまして、男の表情は動かない。


胸には幸せのような感触がある。
求めていた物、欲しかった物、欲望が満たされる瞬間。

目の前の男を何と認識するかで、自分の動きはまるで変わる筈だった。
単に餌だ食料だと認識して、今自分は奴を押し倒す。
邪魔くさい布を破いて。
不健康そうな首筋を露出させる。
見ずともわかる、そこを流れる赤い河を思って興奮し。
その源流であり、この男を生かし続ける左胸に指を当てた。


「心臓から、がぶっと?」
「普通は首とか腕からだけどな。新鮮な」
新鮮なままで呑みたい、という。
奴は、心臓の血も半分は新鮮じゃないぞととぼけた事を言った。

それも確かにそうだと思いながら爪を立てる。
男がわずかに顔をしかめたのがわかり、赤が滲み出した。

前菜に、と傷口に唇を押し付け、吸うように舐め取る。
頭上でうめきにしては艶っぽい声が聞こえた。
上目遣いにその紅潮した顔を見て、何故だか。


涙が、出た。


「ぜろざ――っ」


名前を呼ばれる前に、再び、しかし今度は強く爪を立てたる。あふれ出す。血液が、指を浸す。
そのまま血に塗れた指を一旦男の胸板から外し、振りかぶる。


「っ!」
「か、はっ――!」


全てが終わって。
自分は床に崩れ落ちて。
口内を満たした血液は味気なく。
一人分の、荒い呼吸が響いていて。


「ぁ……が……っ! 」


唇から血があふれ出す。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、きもち、わるい――


「何、してんだよ――」

俺は。俺は多分、何かを。







「――零崎」

欠陥製品は死に掛けた時すら浮かべなかった驚きを浮かべ、荒い呼吸で吐血した俺を見つめていた。

「君は、何を」
欠陥はそれから俺の手が振り下ろされた自分の上半身を見つめ、困惑したように、


「十字架?」
と言った。


罪人のように、真っ赤な血の十字を胸に描かれたまま。



「かはっ――十字架が苦手だとは聞いてたが、血ぃ吐くとは聞いてねえぜ兄貴――」
「だから、零崎。何を」
「与えるか奪うか、だとよ」


目の前にご馳走があるならば。
故に飢餓があるならば。
食べてしまえば解決する、それが最善。
遠ざけたって解決はする、それが次善。


提案した兄は、街を出ようか、と言った。


「……飯でも食べるか?」
「ああ、よろしく」


この行為を、あいつはどう受け取ったのだろうかと少し考える。
いつもの戯れの延長だと思ったろうか、それとも今日ばかりは本気で殺そうとした事に、気がついていただろうか。
気付かないのならそれでいいし、気がついてこれならそれも悪くない。
全く傑作だ、と呟く。



次の日欠陥は、何もいえない俺に少しだけ照れた表情を見せて、戯言だろ、と。
安っぽい小さな十字架を首から提げていた。
血ヲ求ムソレ、即チ鬼ト呼ブ。獣ノ目ニ浮カブハ餓エト紅ノミ。心ハ十字ノ主ヨリ与エラレシ罰ダト言ウ。矛盾シタ定義ノ先ニハ贖罪ノ選択。 故ニダカラソレハ、一匹の鬼ガ死ンダ日。

そして、人間の、生まれた日。