大分帰りなれた第二の(というか二つ目の)我が家へと到着。
ノックもせず迷いもせず、鍵などかけることのない部屋に音もなく入り込む。

別に音を立てたって構わなかったのだけれど、そこはただの気分だった。





「人識君?」




小さく呼びかけてみるが反応がない。


聞こえなかったのかもしれない、原因は自分にあるはずなのに少しだけ拗ねてみる。
自分の声なら何時でもどこでも気がついて欲しいは勝手な乙女心。



恋する心は何時だって身勝手で、我侭だった。









「あれ」









かしゃかしゃと渇いた音を立てるビニール袋を携えたまま部屋にあがりこめば、見えるはずの白髪がない。


もしかしてどこかに出かけてたのかしらんと少しだけ恥ずかしくなり、自分が彼の靴を発見してから名前を呼んだことを思い出す。裸足でかけてくなんてお魚とられたわけでもあるまいし、彼は中にいるに違いない。
止めていた足を再び動かし、フローリングの床を滑るように歩く。



謎は直ぐに解決、返事をしない彼を発見した。








「眠ってるんですか?」








瞳を閉じた彼の顔にはうらやましいほど長い睫が影を落としており、唇には例の微笑は浮かんでいない。
それなのに何故か憎めないような、こちらまで幸せになるような表情をしていた。

ソファに横たえた小柄な肢体はぴくりとも動かず、不安になってしまい彼の胸に耳をつけた。
規則的な鼓動が聞こえてくる――彼の体温と共に呼吸も感じられて、割と安心した。









「残念」








可愛くないことを言ってみるけれど、それにつっこむべき人間は眠っている。


仕方がないのでつまらないとは思いつつ頬を彼の胸から放し、ビニール袋の中身を漁る。





彼の為に買ってきた甘いチョコレート菓子が目に入った。
はっきりいって甘すぎて全部食べれば確実に胸焼けがすること請負の。

しかし何故だか彼のお気に入りのチョコレート。







腹がたったので、目の前にその袋を晒してみた。
目の前に、といいつつ彼の目は開いていないから、顔の前、が正しい。









「食べちゃいますよ?」









返事はない。死んだように眠り続けている彼。
くやしかったので、別に好きでもないチョコレートを袋を開けて一つ取り出した。


それでも起きる気配はなく、仕方がなく口に放り込むと一瞬で甘さが溢れかえる。






「……美味しくない」








限度があるだろう、限度が。
久しぶりに口にした彼用チョコレートは吐き出したくなるほどの甘さをこちらに与える。





ああでも確かに病み付きにはなりそうだと、少しだけ笑う。それほどまでの病的な甘さ。
彼と感覚が少しでも共有できたようで、彼との間隔が僅かでも狭まったようで嬉しかった。









「何笑ってんだよ」
「あ、人識君」






おきてたんですか、と聞くと、今おきたという答えが返ってきた。
がしがしと顔を乱暴にかいて、それでも矢張り眠たさそうに瞳を開く。




と、そこでまず目が行くのは手にあるチョコレート。










「それ」
「……私より先にこっちなんですね」







ようやく舞織に視線が行った。
口元には気持ちの悪いほど軽薄な微笑み。









あ、怒ってる。




そこは女の勘というべきか妹の勘というべきか、はたまた恋する乙女の力というべきか、舞織は即座に悟った。




しかし悟ったからと言ってどうなるものでもない。
そして悟ったからと言って、どうする気もなかった。







「お前、それ、俺の」
「買ってきたのは私ですよう」
「金は俺のだろ」
「元元は何処の誰とも知らない人のです」
「あーうるさい。殺人鬼がくちゃくちゃ言うんじゃねえよ。それより俺の」
「男が甘味でくちゃくちゃ言わないで下さいっ」
「それ差別な。舞織は兄にそういう口を聞く訳か……かはは」
「私より身長低いじゃないですか」
「かはははっ傑作だな」







がし。



強い力で肩を掴まれた。
どう見ても自分と同じかそれ以上に細い腕の、何処にそんな力が。
ていうか、ていうかそれ以前に。







え、殴られる?








人識君ってそんな熱いキャラだったっけ、という言葉が響いてきて、次の瞬間人識の体が動くのが見えた。



反射的に瞳を瞑る―衝撃に備えて筋肉が硬直した。
そして、衝撃。








「……っ!?」








唇に。








逃げようとするも先に感じた強い力の所為で逃げられない。
寧ろ抵抗の分だけ引き戻されて、強く唇が密着する。
口内を嘗め回すように舌が動き、口の中の甘みが消えたと同時に唇が離れた。










「ちっ……もう殆ど食べてやがる」
「ちっじゃないですよ! 何してるんですか!?」
「チョコ奪還」
「……人識君」
「というのは嘘で、腹いせ」
「最悪だな」









そういうと人識はかはは、と笑った。








「気にすんなって。これ気にしてたら兄貴とは暮らせなかったぜ?」
「……その発言がどういう経験から来てるのかは気になるところです、けど」






拗ねてみた。
そして舞織の態度など気にもせず、人識は舞織の手からチョコレート菓子を奪ってどばどばと口に入れる。
その行動にまた、拗ねる。







「人識君は私よりお菓子の方が大事なんですね」
「ばーか」
「なっ……馬鹿とはなんですか馬鹿とは!」
























「お前がやばかったら相手殺せばいいけど、菓子がピンチでもお前は殺せねえだろうが」
























言葉が届くまでに一秒。
言葉を理解するまでに一秒。
体が反応するまでに一秒。
声が出てくるまで、計四秒掛かった。







「それって」
「あー詮索禁止な」







しばらく沈黙がある。
沈黙の後に、







「じゃ、飯食おうぜ妹」
「了解ですお兄ちゃん」









普通の日常が待っていた。