「……ん?」
「ん」


我が家に当たるマンションの一室、帰宅し玄関を覗き込めば。
そこに並んでいる、見慣れない靴。
もう一足置いてあったが、それは末弟の物である。




「アス。アスアスアスアスアスアス!」
「煩いっちゃ。何興奮してんだっちゃお前」
「人識君が友達を連れ込んでいるよ!」
「そんな楽しそうな顔すんな……」
「だってほら! ほらほら! あの人識が!」
「別に友達が少ねえのは人識に限らず零崎全般そうだっちゃ」
「いやだって! 人識君だぜ!? 人を見れば殺すしかない人識君だぞ!?」





「……大声で何悪口いってんだっつーの」
「家族から見ても君は人を見ると殺すしかない奴何だな」
「んなことねえぜ? 割と見逃したりするし。寧ろ他の連中の方が容赦ねーって」




中から呆れたように出てきたのは、件の末弟人識と。
無表情に近い、実に平凡ななりの――そのくせやけに存在感のある、少年だった。







「やあ初めまして! 私は零崎双識だ。人識君の兄だね。気軽にお兄ちゃんと呼んでくれたまえ」
「全然気軽じゃねえじゃねえかこの変態」「全然気軽じゃねーっつーのこの変態」








物凄い笑顔で少年の手を握り締める零崎双識。
それに若干引いたような表情を浮かべていた軋識は、そこで漸く少年の顔を見て。






「…………っ」







驚いたように瞳を開き、そこからゆっくりと、元の無表情に顔面を戻した。
そして口元に皮肉そうな、自嘲するような微笑を浮かべる。





「……初めまして、になるんだろうっちゃな」
「? ……はい。初めまして」



妙な空気などお構いなしに、双識が楽しそうに口を挟んだ。





「君の名前は何ていうんだい?」
「えっと……あるにはありますが、余り聞かないほうがいいと思いますよ」






不幸になりますから。
少年は平然と、そう言う。




双識はそこに何かを読み取ったのか――名前に関することに、彼は酷く敏感である――にっこりと笑った。






「なら、あだ名だ。他の人は君を何て呼んでるんだい?」
「……いっくん、いー兄、いの字、いーいー、いのすけ、いーたん、とかですかね……?」



他にも詐欺師だとか戯言遣いだとか呼ばれますが。そんな風に少年はまとめる。




「あ、後もう一つ――「《いーちゃん》、ちゃか?」






軋識の台詞に、少年は頷いた。





「もしかして、何処かでお会いしてますか? ぼくの記憶力は不良しかないですから、自信がなくて」
「いや、あったことはねーっちゃよ。あったことなんか、ないっちゃ。ただ、流れから想像しただけで」
「そうですか」






少年は少しだけ疑問そうな顔をしてから、すぐに考えるのをやめたらしい。
手持ち無沙汰なように髪を弄くっていた人識を振り返って言う。




「じゃあ零崎、僕は帰るよ」
「あいよ。じゃあな」
「もう帰るのかい?」
「ええ、少し用事がありまして」








そこまで云うと、お邪魔しましたと頭を下げて、少年は出ていった。







* * *











「うふふー人識君の友達―友達ー嬉しいねえ舞織ちゃん」
「是非会いたかったですよう。そんな酔狂な人」
「さりげなく痛烈な嫌味が入ってるっちゃな……」





「大将。大将ってさ、あいつの事嫌いなわけ?」





ソファに座り込んで、空を見つめていた人識は、突然そんな事を言った。






「ん? あ、いや、別に嫌いってわけじゃねーっちゃよ」
「嘘くせえの。かははっいや、別嫌いでもいいんだけどさ。俺も嫌いだし」
「……そうっちゃか」
「人識くんそんな事言ってたら友達無くしますよー」
「そうだよ、折角の友達何だからね!」
「友達じゃねーっつーの」
「じゃ、なんなんです?」
「なんつーか」





少しだけ、考えるような間が在った。








「恋人?」









がしゃん、と物が落ちた音がした。
合計三つ。










「恋人……」「恋人?」「恋人!?」











その後の騒動は推してしかるべし。
改変することなく一部抜粋するならば、






「展開が早いよ人識君! ちゃんと段階踏まないと駄目だぜ!」
「お兄ちゃんつっこみどころ違いますよう! 恋人って!」
「ああ畜生レンなんかに教育任せるんじゃなかった……」
「人識君がお嫁に行く……!?」
「かはは、展開早いのはあんたの脳回路だ」









* * *











「兄ちゃん何時にも増して辛気臭い顔してんなあ……!」
「何で楽しそうなんだそんなに……」
「あれ? あれあれ? マジ凹みかよ。何何、面白い話か?」
「ぜんっぜん面白くねえよ……!」
「んなキレるなよ。ふーん?」




哀川潤は目を細め、軋識の顔の辺りをぼんやりと凝視した。





「へえ。いーたんに会ったのか」
「何が視えるんだよ!? 何処の霊視探偵だお前は!」
「あ、元ネタわかった?」
「てっきり漫画だけかと思ってたがな……!」
「人を殺せる本があると聞いたら、この哀川潤挑戦しないわけにはいかねえよ」




胸を張る女。
胸を張るところだろうか。





「ま、ネタばらすと、このあたしの情報力を舐めんなっつーことだな」
「そうか……《いーたん》はお前か……」
「まあな。で、兄ちゃん何悩み中?」
「何を悩んでんだろうな……とりあえず論点違うところで騒いでる変態と、論点とマジに向き合いすぎてショックを受けてる思春期をどうするかは悩んでるが……!」
「まさか男に走るとは思わなかったと」
「かなり予想外だった」
「まあいいんじゃん? 別に迷惑はかかんねーし。恋愛は自由だし」
「それは建前じゃないのか?」
「だが真理だぜ。真紅と言い換えてもいい」
「いや、それは駄目だろ」
「ふん。兄ちゃんちょっとこっち来い」
「何だ?」
「一発殴ってやる」
「誰が行くか」
「わかった。じゃあ殴らない」
「嘘だな」
「……つまんねえ男だな」



ならいいや、と言うと哀川潤は身を乗り出して、軋識の胸倉を掴んだ。



「……っおいじゅ」












ちゅ。












「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「とりあえず恋愛なんて、キスしたい抱きたいって思ったら十分じゃねえ? 違うか兄ちゃん」
「ああ、何か今頭じゃなく心で理解した」








* * *











「人識」
「かはは、説教ならいらねえぜ大将。今二人分貰ってきた」
「別に説教なんかしねーっちゃけど……まあ、頑張れっちゃ」
「ま、確かに大将にだきゃー説教なんて貰いたくなかったけどよ」
「? 何でだっちゃ?」
「絶対、同性愛を育むより人類最強と付き合うほうが難しい」






がん、と鈍い音がした。
テーブルの足に小指をぶつけた。




「…………いてえ」
「べったべただな」
「てめえこの糞餓鬼、何時知って」
「まあ、偶然? 偶々?」
「ちっ。少しは応援してやろうかと思ったっちゃが、やめだっちゃね」
「大人げねえな。ま、いらねえけどさ、応援なんか」





生意気な風にそう言うと、人識は続ける。








「とりあえず、惚れた腫れたしときゃ恋愛なんて十分だろ?」
「…………っちゃね」











恋い慕う自由は全ての人間に平等である
(結ばれるかどうかは不平等だけども!)