メ シ ア 未 定 の ド タ バ タ 浪 漫 「おい双識」 「なんだい軋識君。あ、じゃなかった。アス」 「お前まだその仇名定着させる気だったのか……」 「だって折角私にも通り名が出来たことだし。格好いいじゃないか、仇名で呼び合うって」 「いい年した男がそうなのはどうなんだろうな」 「親密度が増す気がするだろ」 「んなことしなくても下がらねえよ」 「アスは何気に格好いい台詞を言うよな。いいな。いいなー」 「……違う。そうじゃない俺が今言いたいのは、」 軋識が左手を動かすと、双識もまた右手を動かす。 鏡かなんかか貴様は。 「何でお前は俺の手を握ってるんだ?」 「うふふ。話せば短いんだけどね」 「短いのかよ」 微笑んだまま、指差した先には一冊の文庫本。 その表紙には見覚えがある――全米を震撼させたとかさせなかったとかで今話題の、ホラー本だった。 見えた瞬間、双識の手を叩き落とす軋識。 「馬鹿かお前は! いい年してホラー物読んでビビってんじゃねえよ! ていうかビビるなら読むな!」 「いや……話題づくりにぐらいは読んでおこうと思ったんだ、うん。まさかあそこまでとは」 そういった男の顔は僅かに青ざめている。 何のかんのと言いつつも、いつも泰然自若としているこの男が、だ。 「……そんなに怖いのか?」 「怖い」 いつもの饒舌はどこに行ったのか、先程から単語しか話さない。 好奇心。 それは軋識には馴染み薄い感情ではあるのだが――今この状況では、抗いがたい物があった。 「貸せ、それ。俺も読む」 「……読むのか?」 「読む」 後悔してもしらないぞーと口を尖らせながら、双識は親指と人差し指だけで本をつまんで軋識に放った。 汚物でも扱ってるのかと言いたくなる処遇である。 「………………」 読み始めてすぐには、傍に居ようとする双識が鬱陶しくて溜まらなかったが。 持ち前の集中力で、本の世界にのめりこむ。 話自体は短いもので、読み終わるのにさほど時間は掛からなかった。 ぱん、と文庫本を閉じた軋識の表情は、平時と何も変わらない。 「……アス?」 「この話は」 ただその文庫本が何かの元凶であるかのように、迷いなく投げた。 綺麗なフォームだった、と言えばそれで済む形で。 「確かに怖い」 「やっぱりそうだろ!?」 「暑い! くっついてくるな!」 「今滅茶苦茶一肌恋しいんだよ! 怖い怖い怖い」 「怖い怖いって言うから怖くなるんだよ」 「微塵も信じていない表情で言うなよ」 「……もしかして僕らはお邪魔だったのか」 微妙にいちゃついてるとも言えなくもない格好の兄二人を見て、零崎曲識はそんな風に言った。 「「そんなことはない!」」 二人揃って声をあげて、その理由は曲識には伝わらない。当たり前だ。 今回珍しく、曲識と共に出かけていた人識がぱたぱたとかけてくる。 「? どうしたんだい人識。お兄ちゃんがとられたかと思ったかな?」 「おもわない」 人識の即答に大げさに傷ついた仕草をする双識。 始めてみたときはかなり引いていた人識だったが、今はもう慣れてしまっていて、何のリアクションもない。 ただソファに座る場所がないのを確認すると、落ち込んでいる双識と呆れている軋識を見比べ、軋識の膝の上に上った。 たぶん、正しい判断だと思う。 「……これ何かの苛めかい」 「俺を睨むな」 「あー」 「僕が代わりに乗ろうか、双し――じゃないな。レン」 「お前も律儀に呼ばなくていいぞ曲識」 「別に、こういうのも悪くない」 「呼びなれてないのが見え見えなんだよ……」 「細かいこと気にするなよアス。ほら段々慣れてきたぞ? ああ、そうだトキ、先程の提案は喜んで受けるよ」 「そうか。悪くない……のか?」 「聞くなよ」 正直双識と曲識の年齢差では、膝の上に乗るのはかなり無理があるのだが(絵柄的に)。 双識は何しろ先のホラー小説効果で人肌恋しさが増しているし、曲識はそれに気付く性格ではなかった。 「………………」 「………………」 結局それに気がつく二人――軋識と人識が気を回す結果になったりして。 いやいやながら人識は、双識の膝の上に乗った。 「人識君っ」 「いたい」 「じゃあ僕がアスの方に座ればいいのか?」 「何でそうなるんだ!?」 軋識は曲識に席を開ける様に自室に戻ってしまった。 双識はしばらく人識を撫で回した後、はっと気がついたように時計を見た。 「あ――もう寝る時間だね」 「まだいいんじゃないか?」 「人識君は寝ないと」 「まだいいよ」 「駄目だよ。背が伸びないぞ」 その言葉に、む、と黙り込む人識。 「じゃあ一緒に寝ようか」 「やだ」 「えー」 「レン。弟好きもいい加減にしないと駄目だ」 「えー」 「いこ」 「ああ」 「えー」 一緒に退場していく曲識と人識を見送ってから、 「……うふふ」 微笑みを浮かべ、双識は立ち上がって。 「軋識君! 一緒に寝ようか!」 「人が頑張って寝ようとしてるときに乱入してくるんじゃねえ馬鹿!」 「怖い怖い怖い!」 「曲識か人識に頼め!」 「軋識君はぶつぶつ言うけど粘ったら聞いてくれるから!」 「う」 一瞬怯んだ軋識の隙を見逃さず、双識は迷わず布団に滑り込んだ。 「だから暑い!」 「怖いんだよ!」 「何で男二人同じベッドで寝ねえといけねえんだよ俺らどんだけ寂しいんだよ!」 「家族だったらよくあることさ!」 「この歳でそんな事は断じてねえよ!」 『っあああああああああああああああー!』 押し合いへしあいしていた二人の耳に、悲鳴が届いた。 「………………」 「………………」 黙って顔を見合わせると、声のした部屋へと走る。 当然なのかどうなのか、それは人識の寝室だった。 「人識!?」「曲識っ」 ぱん、とドアを開けると。 小さな塊が飛びついてきて、それが人識だと気付くのにしばらくかかった。 「人識?」 「………………」 喜ぶより先に困惑しているという珍しいリアクションをしている双識は放っておいて、軋識は曲識を眼で探す。 音楽家はいつもどおり、平然として座っていて、 「お前何持ってんだ!」 手には件のホラー小説が握られていた。 「人識が何か話をしろと言ったんだが、僕には持ちネタがないんだ」 「だからって何でその本!? 子供に読ませるなら種類選べ! 大体お前は怖くなかったのか!」 「なんというか」 ぽと、と曲識の手から文庫本が落ちる。 怪訝にその両手を見ると、かなり大幅に震えていた。 「僕は怖がっているらしい」 「この馬鹿!」 結局床に布団を引いて、四人全員雑魚寝になった、とか。 地味に情けないようなエピソードだった。 * * * 「双識さん軋識さん曲識さん人識君!」 「どうしたっちゃ、舞織」 「何も言わずにこれ読んでみてくださいよう!」 手には一冊の、セピアになりかけの文庫本。 まるで誰かに何度も投げられたり落とされたりしたように、角は不自然に曲がっていた。 それを向けられた瞬間。 双識は長い足をもつれさせて転び、軋識はそのままの状態で停止し、曲識は手入れしていたファゴットを取り落とし、人識は自分の頭に手をあてた。 「ま、舞織ちゃんどこからそれを」 「掃除してたら見つけたんです!」 「そういえば捨ててなかったな」 「忘れた頃に繰り返しやがった……」 「人識君? 大丈夫かい」 「なんかよくわかんねえけどトラウマっぽいものが疼く気がする……」 「それはわからねえほうが幸せだっちゃよ」 「何わけわかんないこと言ってるんですかっ! この話本当に怖いんですよ!」 「「「「知ってるよ」」」」 声を揃えた家族一同に、舞織は首を傾げた。 |