しゃり、と足を踏み出した。


土の取り払われていない、無骨な道。
明らかに人の手の加わっていない、どちらかと言えば獣道に近いような――うねる有様。
赤みを帯びてきた木々は、風と共にしゃらしゃらとその存在を主張していた。


空気は何かを拒絶するかのように冷たい――息をつけばそれは白く染まる。
まだそんな季節でもないのだろうが、標高が高いのもあって温度が低いのかもしれない。
これぐらい耐えられないわけではないが、我慢できることと感じない事は別物だ。


むき出しの腕に空気すら存在感を持って迫っており、冷え切った鎖が尚更冷たい。
指の先から寒さがじわじわと侵食してくるようだ。
ただその一方で、心臓だけは確かに熱を持って、心の音を刻んでいた。




冬は、閑かな存在感のある季節だ。
ならばそれに移行している秋の期間、無機物有機物関係なく――存在が迫力を増すのも当然なのかもしれない。







「……ふう」








長い長い現状把握と分析、軽い感傷終えた蜜蜂は少し息を吐いた。矢張りそれも、幽かに白い。
しかしいい加減、この情景にも飽きた。





顔を上げて、目の前を行く男の背中に照準を合わせる。自分よりも小柄な、その体躯。
こちらは幾ら見つめていても、飽きることはない。








二人は任務を終え、里に帰る途中だった。
前を行く蟷螂は、先刻から何も喋りはしない。
今回は少し梃子摺るところもあり、予定外の出来事もあって、蟷螂は予定以上の仕事も請け負わなくてはならなくなったので――流石に疲れているのかもしれない。




だから二人の間に今現在、会話はない。
しかし、沈黙が気まずくなるような――そういう浅い関係ではないのだった。





深くはないだろう。
かと言って、何もないというわけではない。





と、蜜蜂は思っている。
蟷螂がどう思っているかは知らない。








「あ」









足に少しだけ凹凸を感じて下を見れば、花を踏んでしまっていた。












例えば、である。










真庭喰鮫などは嬉々として植物など踏み荒らしていくだろうし、真庭狂犬ならば気付きもすまい。
しかしそんな彼が残酷かと言えば――いや、残酷には違いないのだが――言えるかと言えば、どうだろうか。






人を沢山殺しておいて。
今更花を救うことに、何の優越を見出すというのか。









ざんこく?









笑わせる。








思わず声を上げて足を止めた自分がうとましく、再び蜜蜂は蟷螂の後を追った。
相変わらず、変わらぬ距離を保ったままだった。






「蜜蜂」
「! あ、はい。何ですか?」
「ぬしが思うほど、花は弱くないぞ」
「あ」






見られていたのか。
少しだけ、顔が赤くなるのが分かる。
そういえば、立ち止まった割に彼との距離は一向に変わらなかった。

今更だけど。





「弱く見えるだけだ――人間と同列にするのは、それだけで失礼だ」
「そう――ですね」






未熟ですね、と呟くと、蟷螂は肯定も否定もしなかった。
ただ、未熟だと気付けるのならいいと、そんな風に言われた気がした。






「寒いのか?」
「……!? 何でわかって」
「いや、少々冷えているからな。想像しただけだ」
「……そうですか」






深読みだった。


蟷螂は立ち止まると、半身になってこちらを向く。
立ち止まるのが一瞬遅れた為に、顔を突き合わせるような形になってしまった。
尤も蜜蜂の方が幾分背が高いので、実際には顔をつき合わせるというより――




――蟷螂が下から見上げてくるような。







「ど、どうしました?」
「手を貸してみろ」
「は、はあ」





言われたとおりに手を差し出すと、包み込むように触れられた。
暖かい体温が、直に伝わってくる。







「か、蟷螂さんって、意外と手、暖かいんですね」







動揺しているのを押し隠すように言ってみた。
この手の無理のある誤魔化し方は、蟷螂には有効である。






「普段はさほどでもないのだがな。先程動いたばかりだから、熱が残っているのだろう」
「そうですね――お疲れ様でした」






熱を移すように手を包んでくる蟷螂だったが、人間の体温は中々変わらない。






「悴んでいないか?」
「えと、まあ、少しですが」
「ぬしの忍法は精度が命なのだから、悴んでいては困るだろう」






そう言うと、蟷螂は自分の吐息を蜜蜂の手に吹きかけた。







「!?」
「む。余り温まらないな」






しばらく考えるような顔をして、蜜蜂の腕を移動させようとする蟷螂。
何処にと言えば、自分の首筋に。




ええ、確かに首は冬だろうが夏だろうが暖かいですが。








「蟷螂さんっ」
「ん?」






蜜蜂は慌てて、空いていた方の蟷螂の手を、自らの頬に当てた。






「ほら、大分身体自体は温まってますよ! ただ、指先は遠いから遅いだけです! 大丈夫ですから!」
「……本当か?」
「全然大丈夫です!」





寧ろ危ないのは我慢の方だ。







「確かに顔は熱いが」





まあ、それも実を言うと照れているだけなのだが。






「大丈夫ですって! 蟷螂さんも疲れてますよね! 早く里に帰りましょう!」
「別にそこまで疲れていないのだが……」
「でもさっきから口数少ないですし」
「それはぬしの方だろう?」
「あれ?」






自分は疲れていたのだろうか。
よくわからない。






蟷螂は少し微笑ましそうな表情をした。




「……。まあいい。帰って、風呂にでも入ろう。温まるぞ」
「ああ、いいですね」







そう言って、二人揃って歩き出す。
爆発しそうなほどに温まってしまった血液が、ゆっくりと指先に下りていっていた。