零崎双識と言う男が居る。 奴は、自分の家族で、家族で、家族で、家族だ。 恐らく全零崎中最も変態で、全零崎中最も家族を愛する殺人鬼。 零崎の父も、零崎の母も。当然ながら、例の零崎の申し子も―― 奴の溢れんばかりの愛情には、きっと適わなかった。 最初の印象はなんだったか。 妙な餓鬼がまた増えた、だったろうか。 わからない。 しかし、ただ、今思う事―― 「レン」 「なんだい、アス」 「何してる?」 尋ねられた双識は、にこやかに笑った。 そして、眼鏡の奥にあった視線をすっと戻す。 軋識から、自分の手へ。 先刻からそうし続けていたように。 じっと手を見る。 「私は人間だ」 「殺人鬼だっちゃ」 「知ってるよ。零崎だ。だけど、肉体は人間と何等変わらない」 「まあ、それはそうっちゃね……匂宮でもあるまいし」 「だから、取りあえず私は人間だと思うとするよ」 間違った前提でも、仮説を立てる分にはいいだろう、と双識は言った。 言っている間も、目線はそれることがない。 「約六十兆個細胞で構成されている」 「まあ、そうっちゃね」 「原子まで分解すると、酸素炭素水素窒素――その他諸々になる」 「それが――どうかしたのか?」 「なら私がここにいて、こう考えていることすら、結局は酸素やら炭素やら――ありふれてる物質が偶然重なったにすぎない空しい物なのかと、思ったわけだよ」 「………………」 酸素はそこまでありふれても無いけどな。 そう茶化そうかと思ったが、やめた。 「今、原子レベルで分解されたら――私は空気に混ざるんだな」 「んな空気、吸ったら変態が映りそうだっちゃ」 「うふふ。失礼だなあ」 「レン」 「うん?」 「お前のその話、何処から拾って作ったっちゃ?」 「部屋を整理していたら出てきた、人識君の昔の教科書」 「……中学生レベルかよ」 しかし今の中学では、人体の構成成分まで教えているのだろうか。 進んでいるというより、明らかに不必要な情報の過剰投与である。 「いや、構成成分の方はこの前読んだ漫画からだよ」 「……っちゃか」 こいつ段々読む漫画のバリエーション増えてるな…… 原因となったはずの赤い少女を思い出し、溜息が出そうになるのを抑えた。 「……俺が教えてやるっちゃよ」 「何をだい?」 「中学と漫画レベルの知識で立てた仮説を、壊してやる」 双識は、きょとんとした顔をして、ようやく視線をこちらに向けた。 「前提条件に入れ忘れてる物がある――既に、お前はここに存在して、ここで考えてる」 真実など誰にもわからない。 ただ、事実だけは分かる。 零崎双識はここにいる。 「その事実がある以上、お前の仮説は最初から成りたたねえっちゃよ」 「そういわれるとそれまでなんだけどね……なんだろうな、精神論かな?」 「どっちか言えば哲学とか文学とか言ったほうがあってる気がするっちゃがな」 「ううん」 「大体、仮にお前の言った事を肯定してみろ」 「うん?」 「俺だって――存在しようがしまいがまるで変わらない、ただの原子の構成物でしかない」 突き詰めていけばそうなのだろう。 原子の構成物、それは間違っていない。 ただ、男は。 「――それは嫌だな。じゃあ間違っているんだ」 それを、否定した。 自分が嫌ならば、それは間違っている。 世界から見れば徹底的に矛盾している事柄も、主観で見れば可笑しいことなど何もない。 それも、他ならぬこの男が言ってるなら――笑えなかった。 「ああ、間違ってるっちゃ――それに」 もし、そうだったとしたら。 「俺はただの原子に惚れるほど、人間やめてねーっちゃよ」 「……殺人鬼なのに?」 「殺人鬼だからこそ」 奴は腕を組み、考え込む仕草をした。 それからぱっと気がついたかのように手を話を、俺の顔をまじまじと見た。 「今の流れだと、アスが私の事好き見たいだぞ?」 「やっと気付いたか、馬鹿」 零崎双識と言う男が居る。 奴には零崎以外の名前がない。捨てるべき前の名前すら、存在しない。 つまるところ奴には、零崎しかない。 選ぶ権利などなく、縋る義務だけが残る。 追い詰められているように見えるのに、それでも奴は、逃げない。 最初の印象は、哀れみだったと思う。 だけど、今の感情が哀れみか愛情かなんて――どうでもいい。 そんな小難しい話は、中学生か小説家か、哲学者が考えればいい。 「俺がお前のこと好きで、何か問題あるっちゃか?」 「……なるべく平然と言おうとしてるのが、可愛いなあ」 確かに私も、原子に萌えたりはしないね――と、双識は言う。 「そこで萌えを出すのがお前の変態たる所以だな」 「酸素と水素の結合により生まれる水に対して、エロチシズムを感じたりしない」 「感じたりしてたら、ある意味幸せだろうな……」 「感じなくても幸せさ。今」 アスの隣にいるからね。 その言葉はどうしても、ただの原子が発しているようには思えなかった。 僕の指先から解けてしまえば |