背景、地獄でも笑っているだろう仲間の皆さま。 ごきげんよう。御日柄も良く。今日も血塗れですか? こちらは概ね元気とは言いがたく、 どうやら先に逝った方が良かったような雰囲気です。 「餓死者――ですか」 「餓死者――だ」 そう伝えた海亀の表情は、実にさっぱりとしたものだった。 色々な迷いが消えた分、悲しみやら何やらと言う感情は余計に見えなくなっている。 無論そんなもの、見つけたくも無いが。 頭領にある弱さなど、末端は見る必要はない。 見ても痛いだけなのだから――何も出来ぬのだから。 見えない弱さなら、無いのと同じ。 どうか見えないところで、傷ついていて欲しい。 身勝手な自分――しかしその事に罪悪感すら浮かばない自分に、嫌悪する。 「海亀様がお伝えになるのですね」 「……不味かったかの?」 「いえ、人鳥様ではないのかと思いまして」 「様をつけると死にそうになるぞ、人鳥は」 「存じ上げております。本人の前ではけして」 「……それが分かっているのなら、わしが伝えに来た理由もわかっておるのだろう」 「わかっております。手前も失礼ながら、そちらの方が都合が良うございました」 現真庭人鳥は、自分の後輩に当たる。 彼の実力は知っているし、彼の忍法も知っている。 だから彼が真庭人鳥になるのはある種当然だと思ったし、そこに妬み嫉みの感情は抱いてなどいない。 それがしのびと言うものだった。 ただ、彼がその事を気にしていることだけが気になる。 そんな些事を。 そんな、どうでもいいことを。 そして、彼が頭領になったことで――幼少の頃から知りつくし、弱さを知りすぎている彼が頭領になったことで。 揺らいでいるのが、分かる。 頭領が。里が。真庭が。 一部の隙も無いほどに、箱庭の如く完成された世界が――揺らいでいた。 「隠棲――とは違うかも知れぬが、実戦を引いて隠遁していたおぬしには悪いのだが、伝えさせてもらった」 本当は。 このまま死なせて、やりたかったのだが。 そう言っている気がした。 「ええ。真庭忍軍が十二頭領の皆さまは、何をお考えなのです?」 「奇策士を裏切ろうと思っている」 「そうですか」 「……詳しくは?」 「結構です。末端は知る必要がありません。手前は駒ですから」 何も考えず、皆様に従いもうしあげます。 そう言うと、海亀は少々困ったようだった。 ああ、困った。 そんな顔をさせるつもりは、なかったのに。 「この人数で、末端も駒もないと思うがの」 「人数がどうあれ、これは手前の世界です。それに、手前は駒であることを誇りに思っておりますので」 さあ、世界の王よ。 「何なりと、お申し付けを」 「動け。止まって死ぬ事は許さん。最後まで生きろ。しのびとして」 「お言葉に添えますように」 そうして、私は久方ぶりに。 それでも捨てずにあった、しのび装束に袖を遠した。 * * * 「……人鳥」 「う、あ……」 幼子のような、そして実際に幼い少年は黙り込んでしまった。 彼もまた、世界の王の一人であると言うのに。 私は彼の命令ならば、何でも従う気であるというのに。 「ご、ごご……ごめんなさい……えと」 「気に病んでくださいませ」 「え……、ええっ」 「冗談ではありませぬ。どうか謝るぐらいならば気に病んでくださいませ」 そうして、負い目を持って勝って来てくださいませ。 負い目など覆ってしまうような全てを、勝ち取って。 「お願い申し上げます」 「は――はい」 美しい。 目の前の少年を、そう形容するのに迷いはいらない。 ああ、彼の弱さだって、私はきちんと好きだったのだ。 弱さを隠そうとする彼の強さが、どうしようもなく好きだったのだ。 それは世界。 あるいは、歴史。 「真庭人鳥――」 時代に愛された不運の子。 生まれてきた不運の代わりに、生きている間中の幸運を――彼は得た。 寵児は所詮は籠の花。 寵され続けた先にあるのは、愛に溺れた滅亡のみ。 運不運の帳尻は――何れ合わされる。 そういうもの全部、私が代われればいいのに。 私なんて、この世界にいらないから。 「愛しております」 「ええ!?」 もし余裕があるならば、時代の檻の隙間から―― 無残に情けなく消えていく駒を、僅かでも見つめて欲しい。 「生きてくださいませ」 貴方が居れば――大丈夫だから。 * * * 行って来る――何気なくそう言って出て行った十二人。 背中すら見えず、一瞬で消えて。 寂しさや情緒などまるでない、酷くしのびらしい消え方。 自分が――真庭忍軍を構成する要素だとはっきり認識されるのが、嫌で嫌で仕方がない。 末端でありたかった。 名前すらも覚えられぬ存在でありたかった。 隠れられるだけ沢山の、仲間に生きてほしかった。 だけれどそんなことは――無いものねだり。 しのびは、もってはいけない、感情。 そう教えられてきた。 だから、信じている。 久方振りに着たしのび装束は―― 何故だか良く、肌に馴染んだ。 * * * 「は。まあ、中々いい出来じゃねえか」 撫で斬り。 試し切り。 手当たり次第。 目のつく限りに。 私は――そこで見た。 世界の崩壊を。 王の失楽を。 最悪の、形で持って。 「あ? まだいやがったのか。それ――ふうん。てめえ剣士か」 「剣士と名乗るほど、腕は良くありませんが」 「嘘吐くなよ。ん――ああ。こいつの記憶によると、それなりらしいがな」 「貴方――誰です」 「四季崎記紀だ」 男は何気なく、そう答えた。 真庭鳳凰の体で、そう答えた。 「お立ち退き願いますか」 「ここからか? こいつからか?」 「両方でございます。出来ぬならその体からだけでも」 「は。どうせ待つのも暇だし会話の一つぐらいしてやろうかと思ったが、どうやらてめえ、つまんねえ奴だな」 「よく言われます」 「平然としてっから面白い奴かと思ったのに。興ざめだな」 「平然? お戯れを」 「ああ?」 「手前は随分と、怒っておりますよ」 怒っているのか。 怒っている。 「くだんねえ。やっぱつまんねえな――止め止め」 「殺されたのですか」 「殺したが?」 それがどうした、と男は言った。 「てめえらだって殺して殺して殺しまくってんだろうが。それだけ殺しといて、今更身内の死は悼むってかあ?」 「確かに手前どもは殺して殺して殺しました。ですから、殺されたあれらのお身内は、手前どもを好きに怨めばいいかと思います――それが道理です。だから」 「だから手前は、貴方を怨みます」 「……馬鹿馬鹿しい」 もういい、仕舞いだ――男は、黒い刀を振りかぶる。 この距離で居合いが出来るほど、自分の腕は良くはない――抜刀し、構えた。 「俺の歴史に入っちゃ居ない、てめーら雑魚なんざ知ったことか」 「――貴方が勝手に作った歴史なんて、こちらだって少しも興味はない」 「てめーら見たいな駒は」「貴方の如き王など」 「俺の歴史に、必要ない」「私の世界に、いらない」 鎖の隙間からねじれこむ痛み。 眼前にある、愛しているはずなのに――彼のものではない顔。 ああ、世界は壊れてしまった。 世界が壊れてしまうのなら、自分も壊れてしまえばいいのだ。 「結 、斬…ね、の…――くだらねえ」
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