扉を叩く、音がする。 映る影を確認するまでもなく、それは喰鮫のようだった。 返事がなくても此処に居るのはばれている、居留守など使うだけ無駄だ。 そもそも留守だって構わず入ってくるに違いないのだ、あの男は。 呻く様に、なるべく平然と声を上げる。 「……入ってこないで、欲しいんだけど、さ――」 「いいからお開けなさい」 「やだっつーの」 無理に開けられることを危惧して、障子の前まで擦り寄ってみたものの、しかし喰鮫からは反応がなかった。 どうやら珍しく、川獺の言う事に従ったようである。 溜息をついて扉から離れようとすると、少しだけ遠くから聞こえるような、声がした。 「酷いですねえ」 「……居たのかよ」 「ええ。開けてくれませんから外に居ます」 声が遠く聞こえるのは、どうやら彼が背を向けているかららしかった。 反対を向き、扉に軽く背をつけている。 なんとなく川獺も内側を向くと、彼の背中がある位置に座り込んだ。 膝を抱えるようにして、その上に顎を乗せる。 「川獺」 「悪い――今、話せる気分じゃ、ねえっつーか」 「構いませんよ――構いませんよ、構いませんよ、構いませんよ」 私が一人で喋りますから――と彼は言った。 滅茶苦茶、である。 しかしどうせ顔すら見れない位置関係、聞いていてもいなくても相手にはわからない。 温もりすら伝わらない、付けば簡単に破れてしまう、動かせば簡単に開いてしまう扉が――それを邪魔する。 たったこの程度の防衛線。 たったこの程度の予防線。 しかし、気分に乗せられた拒絶には丁度良かった。 それを知っているのか、いつも自分を良い様に引きずりまわす男もその拒絶を甘んじて受けているようである。 「川獺――貴方は」 馬鹿ですね、と突然言われた。 「……お前、苛めに来たのか、俺を」 「いえ? 慰めに来ました」 「嘘吐け!」 何もこんなに、死にそうな程に落ち込んでいる時に――来る事はないだろうに。 返答するのは矢張り面倒くさく、川獺は黙りこんだ。 「断言してさしあげます――貴方は、馬鹿です」 「だからさ――俺、これでも今、割と」 死にそう何だけど、と言うと、喰鮫は笑う。 それは余りに嗤っている様な笑い方で、虫唾が走った。 「馬鹿ですねえ」 「お前、帰れよ」 「そんなに哀しいのですか」 「帰れって」 哀しいのかなどと、聞くのか。 哀しいに決まっている。 しのびが哀しいなど可笑しい? そんなことはない事を――同じしのびである男は重々承知している筈なのに。 なのにどうして、こんなに苛立つ? 「幾ら仲間とは言え、血族とは言え結局は他人ですよ。しかも忍者です――生まれた時から、死にに生きているような者ではありませんか」 「それがどうしたんだよ」 「だから、死んで貴方が悲しむ必要などないといっています」 「必要な物とか、必要な事とか――この世に一つだって、あるか」 それに――それに。 「お前は俺が死んでも、そうして必要がないっつって――嗤うのかよ」 「女々しい台詞ですねえ」 自分が死んだらどうする、など。 聞いても詮がないでしょう、と喰鮫は言った。 「誤魔化すなっつーの」 「ばれましたか」 悪びれる風もなく彼はそう言うと、また笑う。 「貴方が死んだら悲しみますよ」 そして、一見矛盾しているような言葉を言った。 「悲しんで、悲しんで――どうしようもなく、悲しみますよ」 「……それ、さ」 「でも」 私が死んだら、哀しんで欲しくはない。 その言葉に、一瞬息がつまる。 「そんな物は渡されても迷惑です。悲しみが餞なんて糞喰らえです。哀しんで生きてる者だけ楽になって、踏ん切りつけて前に進もうなど、悔しいではないですか」 だから貴方は馬鹿なのですよ、と喰鮫は言った。 滅茶苦茶だった。 滅茶苦茶で、身勝手だった。 水でも注がれたように薄まっていく痛み。 その奥で、死んでいた理性が蘇生する。 嗚呼、この夜は冷える。 部屋の中でも冷えるというのに、外だったら。 外に居る彼は。 「喰鮫――」 言って立ち上がると、 「あ」 「って!?」 障子が倒れてきた。 「……お前」 「突然立つからですよ――均衡が崩れてしまいました」 相変わらず悪びれもせずに彼は言うと、下敷きになっている川獺に手を差し伸べる。 握った血管の浮く白い手は、今宵の空気を凝縮させたかのように冷たい。 「寒かった、か?」 「そうでもありませんよ」 でも、と喰鮫は言う。 「今は寒いです」 そう呟いただけだったけれど、何をして欲しいのかはわかってしまいっていて。 自分が傷ついていた間、彼も傷ついていたことを知る。 素直ではないけれど確かに響いてきた誘いに乗って、思い切り彼を抱きしめた。 その身体は矢張り、死んでしまったかのように冷たい。 今日、自らの傍らで死んでしまった仲間のように、冷たい。 「……お前も、十分、馬鹿だっつーの」 「川獺はこんな話を知りませんか?」 笑うような声は、最早不愉快ではなかった。 「女が美しいのは、男が女を愛するためで」 今は、ただ、彼の体に体温が戻るようにと抱きしめ続ける。 「女が馬鹿なのは、女が男を愛するためだそうです」 だからこれも同じですよ、と言った喰鮫は。 確かに愛おしいほど、美しかった。 |
Me by You
(僕は君を愛してて、僕の傍に君は居た)