「ふふ……あはは」


嗚呼、月光とはかくも蒼い物だったろうか。
全身でその光を受ける少年の肌は不健康に白く、その癖酷くしなやかだ。
淫靡に映る恍惚とした表情の口元は常に微笑を湛え続けている。
人外に余りにも近すぎる少年の頬は、そこだけ酷く現実染みた、赤い色で染められていた。








「帰りましょうか、海亀」
「さまぐらいつけんか」
「いいではないですか。個性ですよ――下手にそんなものをつけては、被ってしまいますからね」
「ふん」







最後の名残で、自らと同じく返り血で染まった刀を二本振る。
はじいた血は月光を受けて僅かに赫き、それから海亀の頬をぬらした。





「かかったじゃないか。わしの男前が台無しになったらどうする」
「おかしなことを言いますねえ」






そこでようやく、少年は海亀の方に顔を向けた。
柔らかな髪が一歩遅れてゆれ、切れ長のつりあがったような瞳が、一つだけこちらに晒される。



無意識の内に、刀を握る手に力が篭った。



本能的な恐怖を呼び起こすほどに、その表情は人間離れしている。

普段、少年にこんな感情を抱いた事はない。
どうやら彼の空気は、酷く月夜に馴染むようだ。











太陽の下よりも、ずっと強く。











「既に血塗れではないですか、海亀も」
「……ああ」





そうだった。
体にあるまとわりつくような感触や不愉快な冷たさ、そんなものまで忘却していたようだ。
それは――何の所為なのか。
わかってはいるのだけれど、認めることを脳が拒否する。






「わし一人なら返り血など浴びんのだ。どこぞの青いのが派手にやるから」
「忘れていただけなのに私の所為にしないでくださいよ」






体全体に澄み渡るような、歌声に誓い響き。
迂闊にも心地よさに酔ってしまいそうなので、ゆっくりと首を振る。



瞳の端に見えた少年は、矢張り、











「……綺麗だの」









つい、と視線を上げて月を見る。

責任転嫁をしてみたのだ。



少年は振り返りもせず、視線は海亀に向けたまま――









「いい月ですねえ」









と言った。
まるで全身で月光を感じ取っているかのように。
優しく、断定した。







「ですが帰るとしませんか――真庭の里からでも月は見えます。ほら、髪にまで血がついてしまって……わかるでしょうけれど、このままだと痛んで――って、ああ。わかりませんでしたね」
「殴るぞ」






少年は再び、口元だけで笑う。







「うふふ……そんなに怒る事はないでしょう。私は素直なのですよ」







どこかの誰かさんと違って、と続けた。
いちいち意味深な言葉だった。








「ふん」








月を見ていた視線を、少年に向けないまま翻す。
見えない相手に、ぼそりと呟いた。







「夜――おぬしは外に出ぬほうが、いいかもしれんな」
「……年頃の娘の親じゃあるまいし。よりにもよって真庭のしのびに何を言うんです」
「誰がおぬしの心配なぞするか。逆だ、逆」





何時の間にか音も無く隣に来ていた少年は、本当に不思議そうに首を傾げた。
妙なところ自覚的なくせに、変なところで無自覚なのである。







「ひひひ」







それがやけに可笑しくて笑みをこぼすと、少年は少し嫌そうな顔をした。
そちらの方が、慇懃無礼な微笑よりも余程年相応だった。







「ああそうだ――×」







確か伝令があったと少年の名前を呼ぼうとしたところで。


ぐい、と顔を近づけられ、一瞬だけ怯む。
そのまま唇の前で人差し指を立てる少年。
顔には既に、余裕を持った笑みが戻っていた。








「名前は呼ばなくても結構です」
「……別に呼んだって構わんだろうが」
「これは思いやりですよ」







いい加減物忘れが激しそうですからね、と失礼な事を言って。







「そのうち別の名前で呼ぶことになるのですから、忘れていてください」




人を喰いそうな程に綺麗な顔を、綻ばせた。












* * *














「喰……鮫」
「海亀。何だか久しぶりですねえ」
「……今日会ったばかりだ馬鹿者」





あの月の日から幾許か。
少年は青年になり、忘れたあの名前から――真庭喰鮫になった。


相変わらず、調子を狂わされるような微笑を湛えて。
よりにもよって、蒼い月の夜に。




この青年と夜にしか会わない気がするのは、きっと錯覚なのだ。わかっている。
昼間にだってちゃんと会っているし、現に今日だって任務をともにしたばかりである。
なのに――夜の彼が、印象深すぎるものだから。










いつだって、夜に会う錯覚をする。








「暇ですねえ。お酒でも呑みませんか」
「わしはもう寝る」
「やはり年をとると疲れやすいのですか」
「やはりっておぬしは普段からそんな印象をわしにもっとたのか……」
「冗談ですよ。ただ――」






縁側に腰掛けた青年は、つまらなさそうに足をばたつかせた。
それすらも酷く優美に映るのだから不思議だった。






「海亀は昔から、幾ら誘っても遊んでくれませんからね」
「……それはわざとなのかそうじゃないのか難しいところだの」





一瞬きょとんとした顔してから、にやりと笑う。
とりあえず、意味深長にしておくことにしたらしい。










「ねえ、遊びましょうよ――海亀」











その横顔は、光っているのかと見紛うほどに白い。
艶やかな肌が、はっきりと見えた。











「また今度、だな」
「何時だってそう言って誤魔化すじゃないですか」











しかし、誤魔化すようにいいながらも――結局自分の隣に腰掛けて月を眺めだした海亀に。
少しだけ微笑むと、小さく「素直じゃないですねえ」と言った。